忍者ブログ

4番、サード、いたち野郎

千葉ロックマリーンズ
MENU

ENTRY NAVI

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

書評「ザ・キンクス-ひねくれ者たちの肖像」

JUGEMテーマ:音楽
 

どうも何かカテゴリーが抜けているような…と、ふと思いついたのがロック関連の本。それこそネタものも含めればとんでもない数のロック関係の本があると思うのですが、自分で読みきったことがある本に限り、たまに書評を書いていこうという新コーナーです。

ロックアルバムの作品の価値にたいして、点数をつけるのはしり込みしてしまうのですが、今回は少し冒険。カテゴリー名にあるように「傲慢採点方式」(まるで最近のボクシング・ジャッジのような名前…)でいこうジャマイカ、というわけです。中には、正直買って損した、他とたいして変わらないことばっか書いてある、ビジュアルや文章が見づらい、読みづらい、といった本も世の中多数あります。
アマゾンで本のタイトルを検索すれば家に届いてしまう現代、昔のように立ち読みをして中身を判断して買う、なんてことが減っているんじゃないでしょうか。自分なんかはその口なので…
もし、このブログで取り上げた本が偶然気になっていた本で、少しでも購入の参考になればこれ幸い。「あっ、いたちさんがこの本を2点と辛口評価!よし、敢えて買ってやろう。逆にきっといい本に違いない」…なんて具合で(爆)
といっても、読んだ本の数などたかが知れているので「ものまね歌合戦!」の審査員、針すなおさんのように厳しい意見ばっかつけるこたぁないと思うので、あしからず…

とりあえず、いきなり怒られることがないように、自信を持って充実した内容だとオススメできる本から。といってもキンクス関連の本なのでその周辺の方限定の本になってしまうかもしれませんが…一通りキンクスのアルバム、そして60年代R&B系のビート・グループや、ブリティッシュ・インヴェイジョンを取り巻く環境が頭に入っていると、更に読みやすい本だと思います。




「ザ・キンクス-ひねくれ者たちの肖像」
著者:ジョニー・ローガン
大栄出版
読みやすさ
(文章)    ★★★★☆
(構成)    ★★★★★
読みごたえ ★★★★★
初めての人 ★★★★☆
マニアック  ★★★★★
オリジナリティ★★★☆☆

オススメ度  ★★★★★


アマゾンに写真がなかったので、自分の私物の写真をのっけました(デカすぎスミマセン)。
知る人ぞ知る、大栄出版による、ロック・ミュージシャンのカルト・バイオグラフィ・シリーズの一冊です。手持ちのものは95年発行、全554ページ、定価2400円。著者はイギリスの音楽評論家、ジョニー・ローガン。訳はキンクス・ファン、野間けい子。

全体としては、デイヴィス兄弟の誕生から、第一版ではワード・オブ・マウスの頃あたりまで、95年発行のこちらでは、更に進んでTo The Born発売辺りまで書かれています。そんなわけでページ数も膨大なわけですが、一ページの次数がかなり少ないので、思いの他すいすい読めると思います。

バイオグラフィと銘打つだけあって、バンド活動の時系列の流れの中で、キンクスを取り巻く周囲の環境や、オーディエンスの変化、バンド内の人間関係の変遷など、まるで観察記録のように事細かに書かれています。そのため、地方公演の詳細や、レコードの詳細な売上枚数の記録などがデータとして見やすく記録されている本ではないのでご注意を。

この本のユニークなところは、時代ごとの関係者の証言を中心に構成されていることで、読んでいるこちらがアレコレ詮索しながら読む面白さがあるということ。例えば、キンクスといえば60年代、マネージャを3人も雇ったことによりバンドはマネー・ゲームに陥ってしまい、長期間裁判に束縛されることをよぎなくされたようなのですが、その構図とはラリー・ペイジVSウェイス&コリンズ(&キンクス)というもの。これは、アメリカツアー中に同行していたラリー・ペイジが、バンドのわがままさについていけず、ついに自分だけ英国に帰国してしまい、仲が決裂したことによるものなのですが、恐ろしいほど互いの証言が食い違うんです。ラリー・ペイジが「俺はバンドに対して最後まで最善を尽くした」といえば、対するウェイス&コリンズは「あいつは自分の仕事を放棄した上に、そのときのマネージメント料まで求める、セコいやつだ」といった具合に…。
いつの時代もロックバンドの悩みの種となるレコード会社、マネージャーとの金銭面や興行面での確執…特にキンクスの場合はそれが他のバンド以上に複雑だったため、成功のチャンスを逃したと言われていますが、そうした華々しいバンド活動の裏側について、本書の前半で事細かに書かれています。

とにかく仲が悪い、と言われるキンクスですが、この本を読み終わってふと最初からたどってみると、ほとんどといっていいほど、バンドがうまく運営されたことがないみたいです(爆) とにかくつまらないことでケンカ、ケンカ、ケンカ…の毎日、で済めばいいですが、そうしたケンカが30年以上も続くわけです…読んでるこちらもハラハラしたり、ウンザリしたり…。かの有名な、ドラムのミック・エイヴォリーが、ライヴ中にギターのデイヴ・デイヴィスにドラムを蹴っ飛ばされたのにブチ切れて、シンバルで思い切りデイヴの頭をカチ割った事件も載ってます。当のミックは殺してしまった、と思い込み、フリル付衣装を着たまま街に逃げ、逃げる彼を、事情を知らないティーンのファン100人ほどが追っかけるという事態になったとか…(大爆) こうしたひどい状況でも、ギリギリの状況で今までバンドを一度も解散させずに生き残ってきたことは、この本でも書かれていたのですが「キンクスは集団力学の研究対象となりえる」といったとこでしょうか。

執筆者はレイ・デイヴィスの能力を非常に高く評価しながらも、アルバムごとの評価としては、ことごとく厳しい言及をしています。海外のバイオ本やディスコグラフィって、作品評価が本当にシリアスですよね。でも、そうした独自の審美眼があるっていうのは素晴らしいことだと思います。なんでもかんでも名作だよ~名盤だよ~…じゃ、ロックリスナーとしての成長の芽が止まってしまう危険も孕んできますし…。そういうところは斜に見るくらいのつもりで、自分なりに同意や反論を頭で考えながら読むっていうのも面白いかもしれないです。

唯一残念だったのは、この本の執筆にあたり、レイ・デイヴィスからあまり多くの証言を得られなかったこと。構成の段階ではレイから協力を得られるはずだったものの、レイは自伝を書く作業に入ってしまったため(おそらくエックス・レイという、後に出版される自伝のことでしょう)、それ以上の協力を拒否されたとのこと。ただ著者はそのことをプラスに受け取り、あの気まぐれの証言を鵜呑みにして書いていくより、他の人たちからの証言を収集した方が客観的に書けるだろう…と、なんとも強気のご様子。それでも、過去のレイのいくつかの発言はバッチリ収められています。


常に哲学的な発言で周囲を困惑の渦に巻き込むレイ・デイヴィスですが、数多くの彼の発言が収録されているこの本より、一つだけ、特にお気に入りの一言を抜粋します。


「最初、大西洋の向こう側のアクセントで話すやつがこう言ったんだ。『すきっ歯じゃ、ポップスターになれない』って。それで、歯医者をよこしたんだが、彼が歯を削る道具を取り出そうとしたとき、ぼくは言った。『やっぱりやめるよ』って。あれはぼくの人生で最大の決断だった」
-レイ・デイヴィス-



オマケ:本を探しやすいように、背表紙をドゾー

拍手[0回]

PR

Jethro Tull「Aqualung」ジャケットより…「ロックと乞食」ってなんぞ?

先日、ロックブログ界の巨匠、evergreenさんの投稿を読み、そういえば…とふと思った次第で、今回は異色の投稿をしたいと思います。

それはジェスロ・タルアクアラング。僕は恐らくエヴァさん以上に(?)タルをスルーしてきたのですが、このアクアラングのジャケットは以前から面白いなぁ…と思っていました。まず油絵の絵そのものが素敵だし、アナログの盤によってはエンボス加工されていて、まるで目の前にキャンバスがあるような錯覚さえ覚えます。そして、まるでイアン・アンダースン自身をデザインしたかのような乞食…


この謎に解答しようとした、ある本に偶然出会ったのは数年前。学者が書いた本で、適当に読み散らかしていたのですっかり忘れていたのですが、エヴァさんの記事を読み、この本のことを思い出しました。


それは、以前洋泉社が企画していたシリーズ「ロックの冒険」「スタイル篇」というもの。本というよりも、各ライターの投稿を寄せ集めた、テーマごとの短編集のようなもの。その中の一つに、1992年当時、明治学院の非常勤講師をしていたという澤野雅樹氏という社会思想史の学者が書いた「乞食は愚弄する」という短い書きものがあった。この中でジェスロ・タル「アクアラング」が取り上げられているのだ…。

彼はロックを定義する場合の最大の特色として「乞食が商売になる分野」と書いた上で、ストーンズを例に以下のように書いている。


…リーダーでありながら最後まで曲を作ることもできず、まるで寄生虫のように威張っていた無能の人ブライアン・ジョーンズは、いわば乞食の中の乞食である。
…また、キースだけが、ハーレムをボディ・ガードなしでひとり闊歩したと聞いても、ひとは納得することしかできない。彼らは、乞食の出世頭なのだ。現実に存在する心理=社会的類型としての乞食ではなく、ロックという音楽におけるコンセプチュアルな人物(personage conceptuel)としての乞食である。固有の起源が自己の内にないことを自覚した民族が、ロック・ミュージシャン、より正確にいえばローリング・ストーンズなのである。
…彼らは乞食のように卑しく、本質的に泥棒なのだ。乞食の饗宴には、他の音楽のゴミ箱から漁ってきのものしかない。だが、やがて乞食は、高貴な泥棒の概念になる。

~「乞食は愚弄する」(澤野雅樹)より~


レコード・コレクターズ編集長の寺田さんもストーンズのやり方は、セッション・ミュージシャンからのパクリに近いもの…と言っていたので、大方ストーンズについての観方は、こうしたものがポピュラーなんだろうか。ここではかなり激しい書き方なので誤解を受けるかもしれないが、学者らしい冷静な分析でもある。



そんな「ロック・ミュージシャン=乞食」という観方を前提にしたうえで、いよいよジェスロ・タル「アクアラング」のジャケットに注目してみます。



これは見開きした写真で、右が表、左が裏側のジャケットになる。
表側をまず見てみる。切迫感や怒気を含んだ表情をしている乞食が、コートに何かをしまいこんでいる。よく見ると彼の後ろにあるポスターには、「クリスマス・パーティ…」らしきことが書かれている。クリスマスにまつわるものを盗んだのか。

続いて裏側。先ほどの乞食が表とは打って変わり、遠くを見つめるような疲れた表情で路地に座り込み、犬に何かを与えている。クリスマスと照らし合わせれば、七面鳥の肉でも盗んだのか。
そして裏面の右上にはストーリーのようなものが書かれているが、恐らくこれこそアルバムのコンセプト。
そこには「In the Begining Man Created God」と書き出してある。イアン・アンダースン流の激しいジョークであるけど、哲学ではこうした考え方を「経験論」と呼べる。人間は自分が経験したものしか認知できないはずである。だから神という概念は人間がつくったものでしかない…と。


上記のことは澤野氏の文にも書かれていたことで、なるほど、と納得した部分でもある。ロック音楽を経験論に結びつけようとしているのも、哲学専攻していたので興味深い。
このある種の妄想を前提に考えると、この乞食こそイアン・アンダースン本人、またはロックであり、神(ロック以外の聖域)の誕生日に、ヌケヌケと泥棒を働き大ヒットアルバムを作ってしまった。ということは、裏に描かれている、肉を食べるやせ細った犬は、我々リスナーということになるが…(笑) ロック・ミュージシャン自身が、幹のなきロックの根源を探しさまよう…このジャケットに果たしてそうした意味はあるのか。以下はまたしても文からの引用。


ジャケットの浮浪者の惨めな姿が、たとえかつてのロック(恐らくヒッピーなどの格好した類のもの)を集約していたとしても、決して当時のジェスロ・タルは自己をその中に二重化して表象することはなかった。イアン・アンダーソンは浮浪者を見舞う惨状には決して直接的に関与しないだろう。ロックは、乞食の悲惨の外側に立って、不正と矛盾を告発する方向に向かった。つまり、ロックとそれを演奏する者との分離がミュージシャンによる告発を可能にしたのであり、乞食の音楽に<音楽家/作者>という独特の第三者を作り出したのである。
~「乞食は愚弄する」(澤野雅樹)より~


このアルバムには壮大に描かれた中ジャケットがあるのだけれども、これを見てふと似ているな、と思ったものがある。ローリング・ストーンズ「ベガーズ・バンケット」だ。



上がアクアラング、下がベガーズ・バンケットの中ジャケ。ベガーズ・バンケットとは、まさに「乞食の饗宴」の意味。タルは、もしかしたらベガーズ…で自分たちに与えられたメッセージを大きく感じ取って、アクアラングを作ったのかもしれない。


こんな乞食なジャケットは他にないものか…と思い探してみると、ある二つのジャケットが気になった。ニック・ドレイク「ブライター・レイター」イギー・ポップ「ロウ・パワー」。


ニック・ドレイク「ブライター・レイター」


イギー・ポップ「ロウ・パワー」

まったく畑の違う二人だけれども、この二つに共通するのは、服飾の一部を脱いでいること。ドレイクはであり、ポップはシャツだ。
ニック・ドレイクをロックと呼ぶには未だに迷いがあるのだけれども、ロック=乞食ならば、ドレイクは相当な大泥棒野郎かもしれない。このアルバムだけでも、アメリカ南部ジャズ、ボサノバ、カントリー、スワンプ…やら多くの音楽性が詰め込まれている。ここで靴を脱いでいるのは「社交性のなかったドレイクが世間と距離を置いている様」だというのをどこかで読んだことがあるが、そんなあからさまな表現を彼が意識したようにはどうも思えなかった。彼は社交性はなかったかもしれないが、自ら人を訪ねることはしているのだ。ただし何も話さないらしいが…(爆)
彼の靴は非常に身奇麗な、高貴なものに見える。この靴こそ、イアン・アンダースンのいう「神」であり、ドレイクが奏でる根源。自分の捜し求める見えないルーツであるこの靴を、どうぞ見てやってください、と、彼はギターを持ち(自分のモノという自身があるなら、ギターも前に置かないだろうか)、うつむいて控え目に薦めている…そんな風に見えてしまう。

一方イギー・ポップ。70年代に改めて乞食の粗野な部分を強調したパンクの連中が盗んだ、パンクのゴッド・ファーザーと呼ばれる人物。
しかし、若くしてアンダーグラウンドで活躍していたポップは、実は元々ドラムを叩いていた。演奏していたのはブルース。しかし、彼は「白人は黒人を越えられない」と観念し、自分を道化師として売り込むことで変身した。彼こそ、アイデンティティを持ったモノから乞食へと変貌した、ロックの分岐点を体現しているのかもしれない。上半身を脱いだその粗野な格好は、清潔なドレイクと違って、いかにも乞食らしい乞食だけで堂々としているけれども、顔は化粧なんかで塗りたくっていて、やっぱり乞食とバレるのはまずいなぁ、というような葛藤まで見えてくる…かもしれない。そういえば、ドレイクは心の病が元で薬の多量摂取で亡くなり、ポップもドラッグ中毒で生き死にをさまよった。関連があるか分からないけれども…。


ほとんどが妄想ではあるものの、やはり一つの論理性を元にロックを自分なりに展開してみる、というのもなかなか面白い。我々「野良犬」であるリスナーからしたら、もはやロックの乞食性…盛大なロック・フェス、チャリティでの美辞麗句、地下室での猛者、ルーツを探して云十年…なんてものも、実は冷静に見分ける目や耳を持つまでに至っている気がする。そんなワザとらしさも抱合した上で、乞食が投げる七面鳥にかぶりつくのも、実は楽しいのだ。乞食とあわせればこの辺りは「人のばかり食う野良犬が、生産性のある市民権のある犬ぶる」と言ったとこなのか…。


アクアラング
アクアラング
ジェスロ・タル
JUGEMテーマ:音楽


拍手[0回]

炎のドラマー列伝 Roger Taylor(Queen)




せっかく新作も出て再度ロジャーのドラミングを注目する機会を得られたので、すっかりほったらかしだったこちらのコーナーを蘇生させてみました。まったく需要はないコーナーだと思いますが(爆)
なかなか彼がドラムを叩いている最近のいい写真が見つからず、とりあえずイケメンの写真を拾っておきました…。

ミュージシャンがどうあれ、ドラムの音質なんていうのはその時代ごとに変えられてしまい、音だけではドラマーの区別などほとんどつかない世界にまで来ているんではないだろうか。
しかしこのロジャー・テイラーに関しては一聴で分かる。実はかなり癖の大きいドラマーなのだと思う。

普通にビートを刻んでいるときでも…彼が他のドラマーと最も違う点は、スネアを叩くときに、ハイハットをわずかに遅く閉じること。この微妙な癖によって、クイーンの曲はどれもビートの箇所が「ピシッ、ピシッ」といっているのが分かる。他のバンドで、なかなかこれを実践しているドラマーはいないんじゃないだろうか。この癖は初めから顕著なのだけども、ゆっくりな曲が特に分かりやすい。Play The Game、 Doragon Attack、 Somebody to Loveなんてのが特に分かりやすいかも。
しかし特にこの行為がバンド演奏に対してどのような影響をもたらしているかは不明だが、クイーンのサウンドに更にアクセントをつけているのは確実でしょう。

もう一つの癖は、やはりシンバルを手でとめる行為でしょうか。シンバルを鳴らした瞬間に手でとめるこの技で、強調したい箇所を更に盛り上げる。If You can Beat Them、Flash、Don't Try Suicideなどで多用しているような。ライヴでは愛という名の欲望などで多用しています。

元々ハードロックバンドの趣があったからこうしたビート感を多様しているのかもしれないけど、彼のへヴィな技がフレディのピアノソングともしっかり絡めるのだから、やはりそこが凄い。

また、よく彼は手数が少なくてヘタだ、という意見を聞くけども、ドラマーの上手い下手が手数の数や速さだけで測れないのはもはや周知の事実でしょう。ライヴでのインプロによるスネアの絶妙な連打、Tie Your Mother Downなどドラムがハイライトにある曲での流れるタイミングもかなりうまい。実はジャズドラムにも精通しているのか?と思わせる面も。

自分がドラムを始めようと思ったのはロジャー・テイラー先生がいたからこそ。おかげで彼の癖のほとんどが自分のプレイに反映され、周りにヒンシュクをかっているわけですが…。自分にとってはいつまでも教科書のようであり、永遠の研究対象でもあるのでした。


ロジャー堪能曲[:聞き耳を立てる:]
・Keep Yourself Alive(Queen1収録)
やはりここでのバンド唯一のドラムソロは外せない。単純なようだけど、実は指先の神経で細かくビート間の隙間を埋めているのだ。ロジャーは重い音が好きで、低めの音にセッティングしていたから、繊細な技を音に出すことは非常に難しいはず。

・It's Late(News of The World収録)ブライアンのめくるめくギターが美しい名曲ですが、ここでのロジャーの仕事も素晴らしい。
こうしたゆるい曲でのオープン・ハイハットの絶妙さが曲のサビを盛り上げる。
大サビ(ギターソロ)が終わる際のドラム全体を使ったロールも妙技で、かなり正確に拍を取れる人なんだろうと思う。フレディもロジャーのリズム感は時計以上だ、と言っていたくらいですから…。
ラストでのドラム・ロールはそれほど難しいことはやっていないのですが、かなりヘヴィな音ですね。あの時代にあってもこれほど重く設定して叩いていた人もなかなかいないんじゃないだろうか。



戦慄の王女 (紙ジャケット仕様)
戦慄の王女 (紙ジャケット仕様)
クイーン

世界に捧ぐ (紙ジャケット仕様)
世界に捧ぐ (紙ジャケット仕様)
クイーン
JUGEMテーマ:音楽


拍手[0回]

炎のドラマー列伝 Mick Avory(The Kinks)



バンドの中でも、そしてドラマーとしても、なぜかまったくといっていいほど注目されることのないキンクスのドラマー、それがミック・エイヴォリー。恐らく名前すらも知らない人も多いはず。

まだ1960年代の前半、キンクスのドラマーには、なんとあのストーンズの現ドラマー、チャーリー・ワッツが入るはずだったらしい。それがストーンズから誘いを受けたことで断ったとかどうとか、いう話です。
そこで、キンクスの所属レーベルであるパイだったかプロデューサーのラリー・ペイジだったかが用意したのが、その後20年以上キンクスでドラマーとして活躍することになるミック・エイヴォリーだった。とりあえずはアイドル要因として連れてきたはずが、髪の毛が短かったことをデイヴ・デイヴィスに馬鹿にされまくったとか…
この二人の確執は後々まで続き、ライヴ中にデイヴに馬鹿にされたミックがシンバルをデイヴの頭に投げつけ、頭からおびただしい出血をしたデイヴを見て、死んだと勘違いして逃亡してしまったとか(笑) 80年代に入っても、カレーを投げつけあう喧嘩があったとか、ジャケンにされては頭に血が上るタイプだったらしい。

とりあえずバンドメンバーは揃ったものの、ドラマーとしての力量が不安視されたため、ファースト・アルバムでの録音参加は見送り。たしかセカンド・アルバムでも録音への参加は見送られたような記憶があります。そんなわけで、ラヴ・ミー・ドゥの録音に参加できなかったリンゴ・スターと同じ境遇を、1年近く味わったミック。
当時、ロンドンでR&Bを演奏していたドラマーの多くがジャズ寄りのR&Bを模倣しており、彼も例外ではなかった。当初から軽快なリズム感とアタックのあるスネアを出してはいたけども、ブルース・ロック色の強いサードアルバム「キンク・コントラバーシー」ではやや浮いた存在に。

それでも、キンクスがフォーク・スタイルを徐々に確立し始める「フェイス・トゥ・フェイス」を皮切りに、ミックのドラミングも段々バンドの音と馴染んでくるわけですな。キンクスの曲にハネるようなノリの曲が増えるにつれ、ミックのドラムも順応。「ヴィレッジ・グリーン」でも「ウォルターを覚えているかい」「蒸気機関車の最後」でのスネア連打でのワビサビ具合はさすがジャズ出身という見事な腕。

しかし、パイからの最後のアルバムとなる「ローラVSパワーマン…」あたりから、エクスペリエンストのミッチ・ミッチェルのような、あのドタバタしたドラムを突如習得。その後のRCA時代のキンクスでは、そのドタバタドラムが続けられ、彼の代名詞的なワザとなっていく。

「あのドラムは難しいんじゃないのか?」と言われることがあるけども、実際は恐らくミック自身も曲のノリに合わせて叩いているだけのものだと思われ、60年代の常套句的なドラムに倣ってのドラミングの一つだと思う。ただ、それがRCA時代の、バンドが混迷した感じをいい具合に引き出していて(笑) 無茶しているんだけれど、これがいい味になっていたりする。
実際、キンクスファンが集う某掲示板を見ると、「あのミックのドタバタしたドラムが好き」というファンの書き込みが多かった。キンクスのサウンドとしての肝が、あのギターリフから、実はミックの叩く浮ついて印象に残るドラミングに移行していたのかもしれない。
浮ついているといっても、RCAからの最初のアルバムだる「マスウェル・ヒルビリーズ」での彼のドラムは凄く好きです。スワンプとでもいうべきか、ヴォードヴィルとでもいうべきか、あのアメリカの遠景的な音楽に実にマッチしたドラミングをしている印象があって、ここでの彼のプレイは圧倒的に良いと感じています。

アリスタ期にはパンク期に入るキンクス…当然ミックのドラムも修正を余儀なくされ、「ロウ・バジェット」では激しい8ビートを叩くのに苦労するミックの姿が浮き彫りに。明らかに慣れきっていない感じが耳で拾えるはず。
それでも次のアルバム「ギヴ・ザ・ピープル…」ではすっかり修正できているのは、さすが長年バンドで食ってるだけあるな、という印象で、この頃にはデイヴとともにファッションもすっかりパンクになり、タンクトップのお姿に…。

結局、レイデイヴとの長い確執が原因で、ロンドン・レーベルに移る頃にバンドを辞めてしまい、その後は元エクスペリエンストのベーシスト、ノエル・レディングらと小さなクラブで演奏をしていたとか。キンクス再結成(オリジナル・メンバー)の話にはノリノリと噂される彼ですが、果たしてもう一度日本で彼の姿を拝める機会は訪れるのか…

ミックの私的ベスト・テイク[:グッド:] :20世紀の人
「マスウェル・ヒルビリーズ」の冒頭に収録された曲。レイとのアコースティックとの絡み方も抜群なら、デイヴのスライドとの相性も最高!サビで一々あるドラムソロでのドタバタ具合はここでも健在。ドラムの音も凄く硬くて、好きだなぁ。


マスウェル・ヒルビリーズ(K2HD/紙ジャケット仕様)
マスウェル・ヒルビリーズ(K2HD/紙ジャケット仕様)
ザ・キンクス

拍手[0回]

× CLOSE

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新コメント

[06/23 https://www.giftspresentforboyfriend.com]
[06/04 https://www.birthdaygiftforgirlfriendhk.com]
[06/04 https://www.floristhkflowershop.com]
[03/26 たかゆき]
[03/14 https://www.bouquetofroseshk.com]

最新トラックバック

フリーエリア

プロフィール

HN:
いたち野郎
性別:
男性
職業:
紳士
趣味:
レコード
自己紹介:
1984年生まれ。現在の住まいは千葉県浦安市。

ブログ内検索

アクセス解析

カウンター

バーコード

忍者アナライズ

× CLOSE

Copyright © 4番、サード、いたち野郎 : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]