ロック本のカテゴリを持つブログもほとんどないみたいで、いい加減に書いてますが実は責任が重いのかも、とか思いつつあるのですが…
色々なロック関連書籍というのが日本ではかなり出版されていると思うのですが、一つ一つがよくも悪くも印象に残るというものです。今回はちょっと批判ばかりでいこうかと…好きなのばかり取り上げていると関係者に思われるかもしれないですから(笑)
タイトル:日本ロック雑誌クロニクル
著者:篠原章
出版社:太田出版
内容:ミュージック・ライフ(ML)
ニュー・ミュージック・マガジン(NMM)
宝島
ロッキング・オン(RO) など
読みやすさ
(文章) ★★★☆☆
(構成) ★★★☆☆
読みごたえ ★★☆☆☆
初心者にも安心★★★☆☆
マニアック ★★☆☆☆
オリジナリティ ★★★☆☆
オススメ度:★★☆☆☆
今まで満点とかだったのが突然底辺近辺て…もう気分屋ですから…すいません。
アマゾンで見るとカスタマーレビューが複数あって、平均でかなり評価が高かったです。
自分のロック雑誌体験なんていっても、物心ついたときにはロック人気なぞすっかり撤退した後で、もはや焼け野原状態だったわけで、周りのロックファンの連中でも雑誌を買っている人は稀でしたね…やはり僕もずっと書籍一辺倒で、初めて買った雑誌は
レコード・コレクターズ「ジョージ・マーティンとビートルズ」という特集だったということを今でも覚えています。多分10年も前の話ではないと思います。そのときは
頭脳警察なんてのに興味を持った頃で、ちょうどこの号の第三特集あたりが頭脳警察だったので(ファーストのCD化)、それで買ったんじゃないかと思います。
そんな僕ですから過去のロック雑誌の影響力とか変遷なんてものをまったく知らなかったところに数年前コレを見つけた、というのが本書を読んだ経緯です。
この本は5~6くらいのパートに分かれていて、それぞれ
ミュージック・ライフや
ニュー・ミュージック・マガジン…など、雑誌ごとにパート分けをしています。そのなかの半分以上は
「クイック・ジャパン」という雑誌で連載されていたものが掲載されているそうです。著者の方は経済学の先生で、書いた当時は大学で教鞭をとっていたそうです。
自分が今まで読んできた限りの経験だと…大学で授業をやっているような人が書いたロック本の七割くらいは評価薄(爆)です。僕の研究室の先生も実は何を思ったのかロック本を一冊出しているのですが、そっちはずっと面白いです。今度紹介しますね(笑)
大抵学者の書いたロック本というのは、根拠と理論を重んじた文構成になりますから…それは論文の一部を抜粋したりして出されたものが多いからなんだと思います。
しかし本著は、サブカル雑誌に連載されていたもののせいか、読みやすさと根拠の積み重ね、どっちつかずな印象を受けました。僕としては丁寧に書かれていれば別に読みづらくてもいいんですが、結論に持っていくサンプルのつなげ方がこれでいいのかな、という疑問のつくものばかりでした。インタビューが内容の大半を占めていますが(渋谷陽一のみ断ったそうです。ムカツク笑!)
一つ一つの雑誌の成り立ち…倒産寸前の出版社から、脱サラしてライターを志してから、ミニコミから初めてから…といった各々の出発の経緯、絶頂を迎えたときのポイント、そして発行部数減という衰退の理由など、年表のようにスラスラ追えるところは良かったのですが、でも「目からウロコ」といったような関心を呼ぶようなものもなかったし、「何を改めて今更…」と思ったのが正直なところです。というのも、リアルタイムでも後追いでもそれらの雑誌を読んだことがまったくない自分でも「まぁそうだろうな」と予想できるような観測しかされていなかったということでして…
たしかにシンコーの雑誌を買っていればミュージック・ライフの話は今でもよく出てきますし、中村とうようや渋谷陽一も業界でご健在ですから、そりゃある程度情報は知ってるだろ、と言われればそれまでなのですが…
僕が一番期待したのは、60年代や70年代に洋楽ロックが日本で注目を集めていた時代に、各雑誌がそれぞれどういった格式を持っていたのか…その時代から見た「雰囲気」を知りたかったわけです。 たしかに同じ時代においてNMMは分析でありROは精神で、二つは対立をなしていた…なんてことは書かれているのですが、先ほど述べたように、それはまだ現役の両者の仕事ぶりを知っていれば分かることなので、本当に自分の知っていること、予想できたこと以上のことは書かれていなかった、という感じです。ロックはいくら数値化されたデータが集まっても、結局のところ分かることは本当に少ないですよね。すでに形骸化されたといわれていても、いつまでもロックという言葉は現在進行形で謳われている…
こんなことを書くとまるで渋谷先生のようですが(笑) 名前を見ただけで虫が好かなくなる三大文化人=
村上龍、和久井光司、渋谷陽一 ですから…(爆) 三人に共通するのは…ユーモアがない上に自分本意での視点でしか説教できない…そんな印象です。お陰でいいことを言っていてもついつい見逃してしまう(爆) 僕の中で渋谷陽一という人は、自分のプライドの保持のためなら詭弁をいくらでも使う、そんな人だと思ってます。
中村とうようとの論争も有名ですが、ああした態度を引っ張った結果、最近大変な事件を生んでしまったようです。ここでは詳しく書かないですが、詳細のあるリンクを貼っておきます。なRO主催のライヴフェスティバルに関することです。
http://narinari.com/Nd/2008069545.html
結果↓
http://www.2nn.jp/mnewsplus/1212377283/
以前から思っていたことが本著でもズバリ書かれていたのですが、ROへの批判として著者は「ロックは思想だ、という押し付けをし、ロックを逆に型にはめることになってしまった」とありました。僕と同世代や下の話に限れば、この「思想」というある種妄想の型にハマった聴き方をしている人が周りに随分います。それはRO読者に限らずですが。もちろん聴き方に強制はできないけれども、思想なんていう高尚な言葉になんとなくクリスタル状態に陥り、根拠の薄い共感や排除をいともたやすくしてしまう状況が築かれていると思うんです。
ついでなのでもう一つ。本著でもロック雑誌の売上減による衰退について若干書いてありましたが、結局はいかにも…というまとめ方をしてはぐらかされた記憶があります…。
自分なりに今の状況を踏まえて考えること…。上のリンクを貼った件から言えることですが、わずか10数年前にこの件以上に大騒ぎさせた中村とうようとの言い争いと質的には近いことをこの年にもしてしたのですが、なぜ渋谷自身が謝罪をしなければならない事態にまで達したのか…これは明らかにインターネットの影響ですよね。逆に言えば、あの論争のときに今のようにインターネットが普及していたらどうなったか…二人による争いでしたから、ネットユーザーはどちらかの味方についてネットというテーブルで言いたい放題、自分のカードをぽいと置いて行ってしまうでしょう。ただ、その数が増えて徐々にどちらの方が支持が多いか、ということを皆が知り始めると、劣勢の方への攻撃が突如強まります。 当時は各誌上で言い争いがあり、お互いの誌で自分の都合がいいように取りまとめた結果となりましたが、ネットがあればそんな言い争いすら長くは許されないでしょう。書簡がせいぜい2往復もすれば会社の読者意見箱はパンパンでしょう(笑)
今までは自分の雑誌の中で自分の強烈なセンスに則って書いて、ある程度の支持を集め、あとは家族経営でのほほん、マスコミに入りたいヤツなんざいくらでもいるから、コネでいいよね、で済んでいたはずが、ネットの中では口コミの速さが尋常ではありません。明らかに内容がおかしければそう感じた人はネットに書いて、それに「実は私も…」と共感した人が作るサークルは、元々の支持者にも再考を促すほど強力なメッセージを持つことがあります。
あの雑誌社はコネのあるレーベルからのアルバムしか評価しない、コネ採用で能力のある社員は追い出される、自浄能力がない…嘘か誠かも分からない情報が、ネットを見る人たちには新鮮な情報として刷り込まれていきます。そうしたネット上らしい「希薄な根拠による噂」や「閉鎖的ゆえ真っ当に批判される企業構造の改革」…「読者以外の読者」という新しい敵に有無を言わせない雑誌作り…お先真っ暗な日本ロック雑誌はどういう変貌を見せるのでしょうか… あ、自分の結論もはぐらかしになりました(大爆)
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