ジャップロック・サンプラー
-戦後、日本人がどのようにして独自の音楽を模索していったか-
著者:ジュリアン・コープ
訳者:奥田祐士
2008年
白夜書房
375ページ
2800円
読みやすさ
(文章) ★★★☆☆
(構成) ★★★☆☆
読みごたえ ★★★★☆
初心者にも安心 ★☆☆☆☆
マニアック ★★★★★
オリジナリティ ★★★★★
オススメ度 ★★★★☆
この本の存在は出版された当時から知っていたのですが、
フラワー・トラヴェリン・バンド「エニウェア」のジャケをしつらえたカバーが本の分厚さを見た目以上に重苦しく見せており、手を出さぬまま5,6年経過。先日、偶然
コメント欄でご紹介いただいたこともありついに図書館で借りることとあいなりました。
重要なことは、何より著者があの
ジュリアン・コープということでしょう。彼は80年代ニューウェーブの代表格ともいえるミュージシャンで、日本ではどのくらい知名度があるのかは知らないのですが、中古レコードが300円程度でも手に入るのだから当時売れていたんじゃないかと思います……自分も2枚くらい持っているはず。そんな英国人の有名ミュージシャンが日本のロックについて興味を持っているばかりか400ページ近くを使ってまとめてあげているというのだから、試みとしては相当にユニークなものです。
さて、大仰なサブタイトルが示唆するように、この本はちょっとしたアカデミックな書物となっています。黒船来航から始まる日本史、日本語の響きといった根本の理解からスタートし、戦後日本のロック史、そして各アーティストの解説へと流れていきます。ただし、ここで登場する日本のロック史には、フォークジャンボリーもニューミュージックも登場しません。むしろそうしたものへのアンチテーゼとして
ジャックスが取り上げられるほどで、勘の良い方はこれでどういったミュージシャンが登場するのかだいたい察しがついたかもしれません。本書における日本のロック史はアンチコマーシャルで、アンダーグラウンドで、サイケデリックな、そうした辺境に位置するものを捉えています。
J.コープは冒頭でサイケデリックについて、自身の体験も踏まえながらドラックなしでは成り立たないと書いています。彼は日本にドラック文化がさして根付いていないことも踏まえており、それでもなお「ジャップロック」にドラッキーでサイケ感あふれる音楽が、日本の土着的な性質と絡んで存在するのだと力説しているのでした。
本書を読んで誰もが驚いたことだと思いますが、非常に注釈が多いんです。著者のではなく、日本の編集によるものですよ。これは事実誤認が相当数見られるためで、
日本のヒッピー文化の始祖が「寅さん」、
井上順がハーフだのといった、我々からしたら思いもよらぬゆえ笑っていいのか笑えないのかためらわれるような間違いが多いです。そのためアカデミックな文体でありながら正確に読み解く資料としては使えないのですが、巻末で特別対談した
近田春夫が感想として話したように、凡百のライターでは持ち得ない熱狂ぶりが伝わる独特な文章となっているところに高い価値を見い出せると思います。イギリスで一定の地位を築いたミュージシャンが、まるで何の縁もゆかりもない日本の同質の音楽をどう聞いたのか、混じりっけないストレートな言葉で描いています。さらに関係者……特にここでは
内田裕也がどういった熱情を持ってプロデュース業に携わっていたのか、まるで当時のことをそばで見ていたような口ぶりで書くあたり、文献等では知る由もない感触をも表現できるのは彼ならではのセンスかもしれません。同じ音楽に携わる者としてシンクロする部分があるんでしょうか。
J.コープは本編の最後に「著者のトップ50」と銘打ち、日本のロック名盤を紹介。その全てについて解説をつけています。カタログのほとんどはオリジナル盤レコードが高額なもので、CDでも廃盤になっているようなものが多いですね。ただ、そうしたもの全てを諸手を上げて受け入れているわけではありません。最後の最後には「手出し無用のアルバム」と題し、レア盤というだけでコレクターが自分を慰めるために名盤と言っているだけの無価値なアルバムを紹介しています。評価の基準は著者の耳によるものと理解していい証左になるでしょう。
ベスト50に入ったミュージシャンのうち、7グループを独立した章で紹介しています。そのラインアップは
・フラワー・トラヴェリン・バンド
・裸のラリーズ
・スピード、グル&シンキ
・タージマハール旅行団
・J.A.シーザー
・佐藤允彦
・ファー・イースト・ファミリー・バンド
となっています。
なかなか日本の音楽本でもお目にかかれないようなグループたちを取り上げていて真偽のほどが確かめられないような箇所も多いです。例えば情報がほとんど浮上してこないことで有名な
裸のラリーズですが、このグループのメンバーが
「よど号ハイジャック事件」の実行メンバーとなったことは有名。その事件を受けてフロントマンである水谷がどのように考えどのように行動したか……自分自身もさほど詳しくないのもあり、そうした点に確信が持てず読むはめになったのですが、あの日米安保闘争時代の日本の熱を感じ取ったかのような書きっぷりは真に迫るものがあり、たとえフィクションであるとしても、騙されても面白ければいいじゃない、という寛容寛大な心を持つ人であれば読み物として胸を打つものがあるかもしれません。そうした怪しいながらも情熱を注いで描かれたヒストリーが、各章で展開されています。
日本のロック史がフォークやブルースに根ざしたアメリカン・ロックへの憧憬……
はっぴいえんどを中心としたような構造として描かれるのに対し、他の抜け落ちていた系譜……ブリティッシュ・ロックやアメリカ辺境サイケ、現代音楽……が本書で紹介されるグループたちにはあるように思えます。これはフラワー・トラヴェリン・バンドをプロデュースした内田裕也に端を発した
「日本語ロック論争」の対立構図とも共通しますが、今の時代に英語でロック演ります、なんて言ったら逆にダサいイメージを持たれるかもしれません。それでも、あの英米ロックが激流の中もみくちゃになりながら磨き上げられていた時代にそれらをカバーすることがいかに大きな意味があったのかを、本書はミュージシャンの視点で教えてくれます。著者が「日本語ロック論争」の対立軸を知っているのか定かではありませんが、はっぴいえんどについて否定的な言い回しを使っているあたり、相反する両者の音楽性をその嗅覚で感じ取ったのかもしれません。それは客観的な価値判断ではなく、好みの問題として、ですが。
日本にも英米以外の国のロック音楽を扱った本はいくつか見られますが、その多くは日本人が書いたものではありません。例外はいくつかありますが、外国人によってこれほど体系立てて書かれた例はなかなかないのではないのでしょうか。
ロシアの映画監督
セルゲイ・エイゼンシュテインは生前に日本の能について論文を発表し、その中で「日本人は私のような外国人に能の研究を任せるわけではあるまい」みたいなことを冗談ぽく書いたそうですが、本書にもどこかそうしたアイロニーを感じる次第でした。
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