昔の料理漫画「包丁人味平」の中のあるシーン。
「塩だけでお吸い物を作れ」という対決の中で、普段洋食しか作っていなかった味平は悪戦苦闘。耳かき10分の1杯ほど少ない加減で塩を入れてしまう。
勝負あったかと思われたが、審査員の票が分かれ、一票の差で味平が勝利した。審査員の一人が、なぜ票が分かれたのか、ということについて次のように説明した。「味平くんの塩加減はたしかに足らなかったが、その足らなかった分を、彼は自分の額から垂れた汗で補っていたのだ。そこに彼の独創的な味が生まれたため、票が分かれた。料理はただの算数ではない」と。
僕はプロ、素人問わず人の演奏を見る機会がちょこちょこあるのですが、意外と印象に残るのは素人の、しかも下手な演奏だったり何かトラブったりというのだったりします。単に面白かったから、というのもあれば、そこから絶妙な「間」を発見して妙に感心したりすることもある、といった具合です。 一番最近のでは二年前くらい観た学生のバンドで、多分カンタベリー・ジャズ風の演奏みたいのをしたかったみたいなんですが、色んな意味で技術が全員未熟だったため、演奏を入れるときにイチイチ「せーの」と言っていたり、鍵盤が音はやかましいのにワンコードを押えてるだけだったりするという、まぁその日の見てる人を喜ばせるという意味では散々たる有様だったんですが、普段のテクニカルな演奏からはできない「超体験」を僕はした気になったのでした。
実は、ロックの名盤にもそうした「下手さ」が売りの作品があるとかないとかだそうです。
ドイツのバンドCanが1969年に発表したファースト・アルバム。カンは当時のメンバーの大半が30代という異色のバンドで、実は音楽教養ではほとんどが超エリート。しかし、クラシック畑が多く、ロックはやったことがなかったとのこと。結成目的は「ロック未経験者でロックバンドをやったら何ができるか試したかった」みたいな感じみたいです。ボーカルにまったく歌の経験がないマルコム・ムーニーなる黒人を据え、独創的なビート感覚と即興音と絶叫とつぶやきが混ざったような力作。
オカルトなジャケットも有名なアメリカのキャプテン・ビーフハート&ザ・ヒズ・マジックバンドの1969年二枚組アルバム。こちらはビーフハート氏が演奏経験のない健康な男性を数名集め、数か月に及ぶ集中合宿(そしてなぜか禁欲)の末作りだしたというアルバム。リーダーの「あなたを自分色に染めたい」という青春の欲望を歪んだ形で達成させた音盤です。普段の楽器の使い方からかけ離れた使用の仕方をしているようで、そういう意味では素人を訓練させる方が都合がよかったのかもしれません。
歌ってるジョニー・ロットンはどうだったかよく分かりませんが、演奏はたしかにあまり上手じゃないイギリスの有名なロック・バンド、セックス・ピストルズの1977年のアルバム。中にはこのドライヴ感は凄い、と言う先生もいるみたいですが、それは深読みしていいのかどうか。下手なのは例の有名なマネージャーさんの戦略ということで、下手なバンドでも時流を逃さなければ売れることを証明してしまった音盤です。
と、駆け足で三枚挙げましたが、この三枚のどれもが他の多くのアルバムと違う体験をできるのはたしかですが、自分が聴いたあのジャズ・バンドの体験とはまだまだかけ離れてる、評価とは別に、その距離感だけで言ってしまえば、まだまだこの三枚はロックという概念の主流のちょっと外側にいるにすぎないくらいの気もします。
というのは、これら三枚のどれもが、それぞれに書き込んでいるような周到なコンセプトの故の産物で、だからこそ「ロックの名盤」としての説得力を持ってる、逆に言えば時を経て、そこからはみ出した存在ではなくなりつつある、と言えるのかもしれません。
時を経て、相対的に普通じゃないものも普通になってしまい、もっとロックの範囲を広げる音盤を探す人々によって、更なるオカルティックな下手な一枚が再評価(?)の末ちょっとした人気を獲得しました。
かのフランク・ザッパに「最も重要なロック・アルバム」とも言われたシャッグスの最初のLP
「Philosophy of The World」(1969)です。音楽なんてほぼできない三人姉妹が、子煩悩な父親の熱望によりなぜかレコーディングされ、200枚だけプレスされたアルバム。つまり一般人によるレコーディングなんですが、バンド演奏を初めてやってる学生状態で、ドラムは何時の間にか4小節遅れて元に戻り、歌ははずれギターは押えるのに手間取ってるとか、といった具合。これこそ、僕があのジャズ・バンドで体験したものにかなり近いものでした(それでもあのジャズバンドの方がずっと凄いと信じているらしい)。 カルトミュージックファンの熱の入った人たちにより本人たちを数十年後に探し当てたりする始末で、今でもこうして日本盤でCDを聴けるという恐ろしいことが起こっているのですが、もはやこうして大勢が聴ける環境の中では、シャッグスのような音楽ですら珍しいものではなくなってしまうようで、更なる未知の経験(人によってはサイケと言うのかもしれないですが)を求めて新たな音楽探しが世界のどこかで今も行われているのでした。
[3回]
PR