炎のドラマー列伝(13) Tony Newman(Sounds Incorporated, May britz, Three Man Army, Boxer...)
土台がしっかりした抜群の安定感と緩急自在なバランス感覚
今日は時間があるので、以前から書こう書こうと思っていたTony Newmanで久々のこのカテゴリでの投稿。と、しかしこの人は相当色々なところでドラムを叩いていて、セッションマンとしてはJeff Beck Groupに始まり、David Bowieの「Diamond Dogs」、Kevin Ayersの「Yes We Have No Mananas」。T-Rex「Dandy in the Underworld」やMick Ronson、それに著名なブルースマンたちや、驚くべきことにジーン・ヴィンセントともやっていたらしい…後年の頃かもしれませんが、若くして亡くなっているので貴重ですね。
多分その後にThree man armyに途中参加するも、David Bowieの「Diamond Dogs」に参加するため離脱。次にたどり着いたのが1975年のBoxerというグループ。Patooの中心メンバーであるパトゥとオリー・ハルソールが結成したバンドでした。Pattoもジャズロックを漂わせる中でテクニカルな演奏をしているバンドでしたが、ここではかなりシンプルなハードロックに不可思議なメロディを絡ませる展開。それでも意図的にすき間を開いたサウンドの中で、ちょっとバカバカしさを含んだユーモアセンスのあるおかずでバンドの色合いを強めることに貢献していると思います。ちなみに、一番上に貼った彼の写真はBoxerのファースト・アルバムの見開きに写っているフォトから。
イエスやキング・クリムゾン、フィルコリンズが歌い始めてからのジェネシスのライヴサポート、それにUKやパブロフスドッグ…もちろんソロ・アルバムも70年代から出すなど積極的な活動が見られるドラマーで、それだけミュージシャンからの信頼も厚いということなのでしょう。
信頼が厚いということは、やはりリズム感覚が正確であるということも含まれると思うんですが、彼の場合はポリリズムのスタイルを多用していると言われるみたいですね。つまり拍をずらして意表を突くスタイルのことで、クラシックの曲なんかにはよく見られるスタイルです。ブラッフォードが参加した曲で言えば、たとえばYesの「Close to the Edge」が最も顕著かも。スネアを叩く位置が全然一定しないですよね。こうしたプレイはリズム感覚が正確であることが必要とされるようなんですが、どのバンドでもこんな叩き方してるところを見ると、周囲から許されるレベルであるということなのでしょう(爆)
本人の弁では、イエスの「危機」あたりから好きなように叩けなくなった、という理由でイエスを辞め、キング・クリムゾンに参加するものの、今度はロバート・フリップに「もうちょっとバンドのことも考えて叩いてくれ~」と泣きの解散を喰らうということで… とにかく自分のスタイルをまず貫く人だと言えそうですね。ちょっとでも自分の立ち位置を退屈に感じるとすぐに抜けたがる。パブロフスドックでの彼の音を聴いてると結構地味ですよね。で、やっぱりすぐ抜けるし…。
僕はフィギュア・スケートってまったく興味が沸かないんで知らなかったんですが、最近の大会で日本の小塚という男性選手が、ショート・プログラムでジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスの曲「Bold as Love」を使ったそうで!?いい傾向ですね(爆) ちょっと前はお囃子の曲みたいので日本を想起させるようなのばかり目立っていた気がしますが、そういう安易さに比べるとこういった挑戦の姿勢の方が観てる方も面白いのではないでしょうか。
個人的には思い入れの深いドラマーで、自分がドラムを叩いてみたい、と思ったのは、ウッドストックのライヴを観たときでした。といってもこのビデオだとジミ以外ってほとんど映ってなかったと思います。たまにドラムがほんの少し映ると、やけっぱちな動きで叩いている姿が印象的で、ちょっと童顔で若々しいのもまたかっこよかった…スタジオ・アルバムの曲なんか聴いても、Fireの変テコなおかずは面白いし、ヘタウマかと思いきやIf Six was Nineでは爆音の中に小技を効かせたドラムソロもあって、本当はウマいんだなぁ…と思ったり…。三枚目のアルバム「Electric Lady Land」ではさらに成長していて、後ろノリのビート感を習得してサウンド全体のヘヴィさを増すのに一役買っていたり… 音楽的カリスマ性を持ちながら、極端な自意識ぶりと業界への消極さが目立ったジミと、ミュージシャンとしてはこれからだったものの、俳優経験がありエンターテイメント界には先に足を踏み入れていたミッチ… ジミをフロントに仕立てたグループでありながら、互いの足りない部分を補い合いながら、互いを成長させていった、そんな面が実はあったのかもしれない…残したアルバムはわずか三枚ながら、異常ともいえるほどの音楽的な変遷、高みへの進化…創作の頂点にあまりに早く近づきすぎたためにいち早く崩壊したバンド…