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4番、サード、いたち野郎

千葉ロックマリーンズ
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Queen「Seven Seas of Rhye」



Queen「Seven Seas of Rhye」(1974)

インストバージョンもありますが、これはセカンドアルバムに収録され、シングルとしてもヒットした方。
クイーンはおろか、ロックもあまり聴いたことがない頃に聴いた曲の一つがコレで、とにかく展開が早いわ曲が短いわ、なんて感心していた気がします。最後の酔いどれパーティの声は海賊の宴ってことでいいんですかね。
この曲の最初のピアノの箇所、昔凄い練習して弾けるようになったはずなんですが(あんなに速くは弾けなかったですが)、今ではすっかり忘れております。

上の映像は、アメリカ版のグレイテストヒッツで使われた編集ものですね。

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書籍 「60年代ブリティッシュ・ビート(BEATBOOM!)」

PA090156.JPG










「60年代ブリティッシュ・ビート」
原題:BEATBOOM!


著者:デイヴ・マクアリア
訳者:東郷かおる子
資料制作:赤岩和美
シンコーミュージック
初版:1995年
ページ数:267ページ(付録に多数の資料ページあり)
価格:2100円

読みやすさ
(文章):★★★★★
(構成):★★★★☆
読みごたえ:★★★★★
初心者にも安心:★★★★★
マニアック:★★★☆☆
オリジナリティ:★★★★☆

オススメ度:★★★★☆


60年代のマージー・ビートその前後についての本なら、やはりこの本が定番でしょうか?この本の推薦者として、最初にジェリー・マースデン(ジェリー&ザ・ペイスメーカーズ)の名前が挙がっているように、60年代のブリティッシュ・インヴェイジョンを中心としたロック・ムーヴメントについて、大変信頼できるストーリーが描かれています。 マージー・ビートについてのことだと、やれ黒人音楽の影響が~…と、ここからやたら長く書かれてる本が多かったりしますが、そうした情報を漏らさないながらもサクサクと時代が進んでくれるので実に読みやすいと思います。ビートルズ以外にもスポットライトが当てられ平等に描かれている様は清々しいものがあります。

時代を通した中で、当時活躍、または一発屋などのグループを各々紹介していくという手法で、各グループのどういった曲がチャートのいい位置にいたのか、そうしたことに焦点を絞りながら書かれています。この頃はバンドが生まれてはまた去ってゆくといった状況で、どの曲が売れたのか、というのは有意義な情報だったりします。
もうひとつの焦点が、常にアメリカ・チャートを念頭に入れて書かれているということです。ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれるアメリカへの侵攻があったとはいえ、イギリスのどのグループもアメリカという巨大なマーケットでひと山当てたいと必死になっていたのが実情です。たとえば、イギリスでは途中からチャートインから遠ざかったデイヴ・クラーク・ファイヴはアメリカでは長い間人気があったため巨大な富を生みだしたグループの一つです。それはあのビートルズにも言えることで、「ビートルズ1」なんてチャート一位の曲を集めたアルバムがありましたが、あの中にも幾つかアメリカでのみチャート一位になった曲があったと思います。
逆に、イギリスでは人気があったもののアメリカではヒットできなかったデイヴ・ディー、ドジー…なんかはあまりもうかったとは言えなそう(爆)
そんなわけで、ポップ・ミュージックができたてのあの時代、右も左も、誰にとっても分からない中で、信頼できるのはある意味でお金だけだったかもしれないですね。いつまで続くかなんて保障もないし、ビート・ブーム自体が廃れてしまうかもしれない。そんな中にいた若いミュージシャンにとって、イギリスだけでなくアメリカのチャートというのも大きな意味を持っていたのではないでしょうか。

個人的に唯一難点だと思うのは、やや繰り返しが多いこと。全体の説明の中で出てきたグループが、後のグループ別の項でもまた同じように描かれています。初めてこの時代に触れる読者には、反復学習になるのかもしれませんが…(爆) とにもかくにもジェリー・マースデンが認めるほどの名著であることには変わりないと思います。



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ロックにおける「全体と個」

以前に丸善ブックスが出た「現代ジャズの潮流」という本を少しだけ読みなおしてみたのだが、そこでは「芸術の前衛者は、常に個の論理を基本に置いている」とされている。それは、(この場合の前衛者は前衛音楽家に置き換えて)創作側が多数のニーズや音楽市場を意識して創作をせず、常に「自分が納得できる音楽を創造を模索」しているという意味である。
これがちょっと興味深かったので、この「全体と個」という言葉面をもじっただけではあるが、ロックの場合それはどうなるのか、このカテゴリー(一応サブメインらしい)の一発目として取り上げてみたい。一応コラムのため口調がいつもより生意気になっていますが(ですます調でない)ご了承ください(爆)


前衛音楽が完全なる「個」の論理において構成されるものだとするならば、やはりロックとは全体における音楽なのだろう、と思う。もちろんロック音楽を前衛の観点から否定するわけではないし、むしろ前衛音楽とロックの境界などというものはとても曖昧なものだと思う。ではなぜロックが「全体」という文脈で置かれるのかというと、それはロックが常に肥沃な音楽市場の中に放り込まれた歴史があり、創作者自身が意識していなくても、レコード会社やリスナー、マスコミなど、大勢の目にさらされることで「ロックがロックの外に出ることができない」状況を作り出しているからだと思う。つまり、フィルターがかかればかかるほど、音楽そのものが前衛であろうが、それがロックという域内に放り出されれば、それはロックでしかなくなる。

ロックが前衛的なものである可能性を示唆したものの一つがビートルズで、たとえばリボルバーに収録された「I'm only sleeping」では、当時では実に珍しかったとされる、テープを逆回転で再生させた音が使われている。 恐らく、この逆回転再生自体はそれほど珍しい現象ではなかったように思う。子どもがテープデッキをいじれば、こうした事故に遭うことは想像に難くない。ただ、ポップ音楽にそのような「雑音」を挿入するという発想がビートルズにしか生まれえなかった。この直後、多くのロック・ミュージシャンが同じ施しをレコードにしたのは周知の通りである。
もし、このときビートルズがこの逆回転をレコードに入れるというアイデアを思いついたとき、この「逆回転の音だけ」というような曲をレコードに吹き込んでいたらどうなっただろうか。こうした音がレコードから流れることを物珍しいと思いながらも、恐らく多くのファンはその曲の出来にガッカリしただろう。本来ならば、この逆回転をレコードにして売るということ自体前例がなく、チャートを顧みない行為として(そこに何らかの「個」の論理があったならば)真に前衛的な音楽だったに違いない。しかし、この逆回転の曲は、それだけでは独立して聴かれることはきっとなかっただろう。そこに行くつく最も大きなフィルターは、創作者自身、つまり「ビートルズ」というビッグネームであり、「全体」に周知されている「ビートルズ」というフィルターを通してでしかこの曲が聴かれることはない。そこに生まれる観念は多くの人々からの解釈であり、批判であり称賛の声である。「あのビートルズが新しい音楽を生み出した。やはり天才だ」「才能が枯渇した。まやかしだ」…結局は今まで言われてきたことと何ら変わらないのではないだろうか。ただ、売上はグッと落ちたかもしれないが…。ビートルズで例えてきたので、更にいえば、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの一連の合作アルバムは、更に幅広い多くのフィルターに通されてきたことであろう。ただ、レコード単体で、「個」の論理として存在することは、レコードが流通したその瞬間に諦めなければならない。こうしてロックは伝説、エピソード、数々のバイオグラフィとして「全体」が共有するフォルダとしてフォーマットされていく。
そしてプログレッシヴ・ロック…音楽性としては様々な点で新しいものを生み出したようにも思えるが、やはり「全体と個」で言えば「全体」の論理で完成されてきたものだと思う。それは「全体」が「プログレッシヴ・ロック」というフォーマットを共有した結果でもある。

ロックとはこうして「全体」が共有してきたフォーマットを上書きしてきた連続体と言えるのかもしれない。グラムロックやパンクなど何でもよいが、こうした「全体」におけるムーヴメントの繰り返しである。もしロックに「個」の論理が存在するならば、時間軸における、あるフォーマットとその次のフォーマットの間にしかあり得ない。しかし、それはムーヴメントの幅から見れば取るに足らない幅であるし、見方によっては、そもそもそうした隙間は存在しないのかもしれない。 だからこそ、ロックは「全体」の論理の中で、ありもしない変革を迫られ、もがき続けてきた歴史なのだ。そうした例がボブ・ディランローリング・ストーンズであり、「全体」による彼らのストーリー化が、彼らをロックの伝説に仕立て上げた。そして肝心のレコードも、そうした文脈における一つのエピソードに過ぎないと言っても過言ではない。そして当の創作者側もそれに気づいていた。そうでなければ、SGTのジャケットにディランは登場しないし、サタニック…のジャケットにビートルズが登場することなどなかったはずだ。そうした行為から見えてくるものは、ロックが「全体」の論理の中で、リスナーとアーティストが互いの距離を確認しながら「ロック」であることのバランスを保つことである。

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The Kinks「This Time Tomorrow」

エントリ第一号はキンクスの曲から…

ということで、今日はThe KinksのThis Time Tomorrowです。

1970年に発売されたアルバム「ローラVSパワーマン」に収録された曲なんですが、本人的にも自信があったのか、B面の頭に収録されています。

曲のコンセプトとしては、明日の展望すら見えない流浪の生活…というとこなんでしょうか。生きることへの自然発生的な不安感を歌っているような気も。
このアルバム自体もかなりいいアルバムで、前作のように明確なコンセプトはないんだけれども、これくらい多角的で自由な角度から物事をとらえたロック・アルバムというのもそうそう存在しないのかもしれません。



…と、まぁ毎回こんな感じでサクッと書こうかと思います。

本日の、この曲の決定的瞬間 …これは、つまりエントリ曲の特にクる瞬間を述べるというものです。
「I don't know where I'm going
   I don't want to see」
のあたり










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始球式

毎度おなじみ始球式でございます。


こちらのブログで第二幕を開演することにいたしました、いたち野郎と申します。ロックの小咄が主かと思いますが、よろしくお願いいたします。

2009年9月27日

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