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4番、サード、いたち野郎

千葉ロックマリーンズ
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21えもん好きな僕が選ぶドラマーBest20

またまたご無沙汰しました。
先月、レココレでギタリストベスト100という企画をやってまして、図書館で立ち読みしました。これをネタに書いてる人も多いですね。そんで来月号の予告を見ると、ベーシスト&ドラマーベスト100なんて企画でいくそうで…。
これはせっかくなんで、今月15日の発売よりも早く、自分でドラマーベスト20選んでみよう、というアレです。発刊後に出すよりも前に表明して潔くいこうと、心に決めたのでありました。

しかし、ドラム&ベースを選ぶというのは至難ですよね。技術だけでなく、いかにそのバンドなりに適合、または意外性のある味付けをするか、なんてところにもありそう。個人プレーで選ぶというよりは、楽曲の中で有効なサウンドを出しているか、というところになりそうです。
とはいっても、スタジオ盤からドラマーの音の部分だけでそれを抽出するのは、スタジオの性質とか音をいじる段階でのこととかあって果てしなく難しいですし、じゃあライヴ盤かというと、ライヴ盤なんてないグループもたくさんいるようで・・・。そもそもドラムの良し悪しってなんでしょうね? 「目立たないドラムこそ実は至高」なんてこともあり得るし、数多く正確に叩けるテクニシャンこそ、はたまたリズム感重視、それともバンドのサウンドに適した音を見つけられる人・・・。んなわけで、そのあたりの詮索はなかった、という前提でお願いします(結局なんなんや)。最初にも書きましたが、個人的にはそのバンド/楽曲で無くてはならない音を演出しているのが第一、かもしれません。ドラマーひとりひとりを追っ掛けているわけでもなく、バンドの音がまずあって、そこからドラムの音って感じ。だからソロや派生バンドへの参加作とかにはまったく詳しくありません。欧米のロック偏重。ちなみに自分のプレーについて得意ぽいジャンルは米サイケ、ガレージ風、グラム、60'S Beatのようです。

20 John Bonham(Led Zepplin)
絶妙なタイム感と、大きいのに抜けるようなバスドラの音。ツェッペリンのドラマティックな側面にかなり影響していると思います。



The song remains the same

19 Steven Daly(Orange Juice)
初期オレンジ・ジュースを至上のヘタウマサウンドに仕立てあげた張本人ではないでしょうか? 調和を無視したうるささが魅力。


L.O.V.E.

18 Michael Giles(King Crimsonなど)
初期クリムゾンでテクニカルな面を一手に引き受けたのがマイケル・ジャイルズ。どうやってたたいているのかはよく分かりません。近年も良い動き見せてました。


21st century schizoid man

17 Twink(Tomorrow, The Pretty Things, Pink Fairiesなど)
60年代から色々バンドを渡り歩いたり、自身もソングライターだったり…。スタイルにどこか通底したものがあるのか分かりませんが、サイケの道を行き続けた意味ではぶれていないのかも。Pink Fairesでのプレーを選ぶべきかもしれませんが、Pretty Things参加作であるS.F.Sorrowの曲から。


I see you

16 Billy Ficca(Television)
いっぱい練習した感のある、緻密なアイデアでいっぱいのスコア。バンドのエキセントリックなイメージへの影響は小さくないと思います。


Prove it

15 Roger Taylor(Queen)
クイーンが好きだから選んだんだろ、と言われるかもしれませんが、贔屓目を抜きにして素晴らしいプレ-ヤー。正確なリズムと非常に重い音。そして他に類を見ない左足でのリズムの取り方・・・これがスネアの不思議な音を生み出すことになるとは。真似させていただいてます。自作の曲であっさりドラムを放棄する姿勢にも心打たれるものがあります。



It's late

14 Jaki Lievezeit(Can)
敢えてたたけないドラムで曲を作ろう、なんてことになるとは…。プレーは熟達していなくとも、発想とアイデアはすでに円熟。つまり、音に敏感な人なんだと思います。セッションを積むに連れてうまくなってしまうのですが。もどかしいところですね。


Tango Whiskeyman

13 Jan Fride(Kraan)
シンプルな音でインテリジェンスを演出するKraan。当然ドラムの音自体もシンプルですが、ひとつひとつの楽器が非常に際立つ。事細かにバタバタやってるのが面白いです。


Sarahs ritt durch den Schwarzwald

12 J.D.Haney(The Monochrome Set)
愛すべきモノクローム・セット初期のヘンクツさを決定づけたJ.D.ヘイニーの謎ドラム。まったく従来の使い方にとらわれないのに、ギリギリで誰もが聞ける「バンド」の枠を飛び出さない感覚の鋭さに脱帽です。


Alphaville

11 Viv Prince(The Pretty Things)
相当な問題児だったらしいです。すぐ首になってしまいますが、スタジオ盤の音や当時の映像を見ると、ハイハットなんて使わずガンガンシンバルたたいてます。ジャケでの目付きや、映像の動きもかなりオカシイ。この人がS.F.Sorrowまで残っていたらどうなっていたのか・・・。


Blokker Festival Holland 1965


10 Charlie Watts(The Rolling Stones)

それほどストーンズに傾倒しているわけではないのですが、チャーリー・ワッツのドラムはやはり面白いです。派手なフィルを入れるわけでないのですが、曲によってパターンを細かく変えていたり。どんな狙いがあるんでしょうね。↓の曲って他人じゃなくてチャーリーたたいてますよね(いまさら)?


Little T&A

9 John Densmore(Doors)
クセのなさと音の素直さはある意味プロフェッショナルですが、これが驚くほど徹底されているので隙がないみたい。「ハートに火をつけて」のソロでの我関せずな8ビートは何度聞いても気持ちいいです~。そしてでかい音を出すのも得意。



Light My Fire

8 Bill Bruford(Yes, King Crimsonなど)
突拍子もないところでスネアを入れてくるイメージ。特にYesで。「サイベリア・カートゥール」で決まったようなドラムをたたいていたので(それでも音とクライマックスでのアイデアは最高!)、あぁ、この時にはグループを抜けたいと思ってたんだな、と何となく考えていた中学時代です。


Perpetual Change

7 Bobby Elliott(The Hollies)
ホリーズの底抜けサウンドを長年支え続けた超絶テクニシャン。ポップスでこれだけたたいて嫌味ひとつ感じさせないのは至難だと思います。


Look through any window

6 Paul Whaley(Blue Cheer)
ブルー・チアーに大体在籍していたドラマー。ガンガン前にもいけるし、間の抜けたようなこともできちゃいます。



Just a little bit

5 John Halsey(Pattoなど)
パトゥは全員が名プレーヤーですが、パトゥ&ハルソールに名前が隠れがちなのがリズム隊。ドラムとベースが別々なことをやってるような印象もありますが、それでも音の核がしっかりしてるのがこのグループの凄さ。ジャズィーなプレーが多いですが、パワーで押すときもなかなか。


Money Bag

4 Jamie Muir(The Music Improvisation Company,  King Crimsonなど)
ドラムの枠にとらわれず、パーカッションをジャンジャン鳴らす変な人。風貌と動作からして。youtubeを知った頃にBeat Clubでの「太陽と戦慄」の演奏を見た時は、色々と衝撃でした。同じ舞台で演奏している、自分の好きなビル・ブラッフォードを凌駕する存在感は凄まじいです。暴れ方もひとつ間違えればあまりに滑稽な、ギリギリのラインが過激です。


Lark's Tongues in Aspic

3 Ringo Starr(The Beatles)
ビートルズのドラムって、誰でもいい・・・わけがねいのでぃす。実際、ビートルズの曲ではドラムって結構目立ってますよね。中期以降は特に。変わった手法に出ます。ビート時代なんて横に体揺らしながらたたいていますが、いまだに僕はあれができません。あと、キース・ムーンがスティックをたたいて真上に上げるのもできない。あの不可思議な音については、四人囃子のリーダーの岡井さんが、あれは単にアビーロードの音なんじゃないか、とどこかで話していたような・・・。



I want tell you(mono)

2 Maureen Tucker(The Velvet Undergroundなど)
ベルベット・アンダーグラウンドに非常識を持ち込んだ一人。とはいえ、ルー・リードらの演っていることを見ていたら、自然とドラムセットを解体していたのか・・・。



European sun

1 Klaus Dinger(Kraftwerk, Neu! など)
「万能な」ドラム・セットの欺瞞に気付き、敢えてその機能性の核だけを使い尽くしたクラウス・ディンガー。空前絶後のニヒリストですね。手段はモー・タッカーと違いますが、行き着くところは似ているのかも。



Hallogallo


・・・はい。youtubeの貼り付けが20枚も並ぶとか、サイトのトップ的にはどうなの、という感じですが。

こうしてドラマーと曲をセットで並べて見ると、単純に好きな曲を並べたともいえて、好きでない曲にはいいドラムもないし、逆に好きな曲にはいいドラムがある、ってことなのかもしれません。

ある程度範疇を決めてプレーヤーを選んだのに、まだまだ物足りない感じですね。ドイツやアメリカからはもっと選びたかったし、イタリアも凄腕ばかりです。でも出入りが激しくて名前とかよく知らないからいいや、という感じで(爆) こんなんでも書き切るのに4日くらいかかりました。チャカチャン。


ついでですが、レココレ的なドラマー&ベーシストの1位の予想・・・ジョン・ボーナム&ポール・マッカートニーでは? ダークホースはチャーリー・ワッツとジョン・エントウィッスル。





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やはりレイ・デイヴィスは良い、と思った事案発生

またしてもご無沙汰でした。いやはやお疲れモードなので、休みを利用して久々更新…。レコやらは色々聴いてはいたのですが、折角なのでちょっと違う感じで。

最近、久々にThe Kinks「Soap Opera」というアルバムを聴いたのですが、改めてその素晴らしさにジーンときたところでして、それはなんでかというと、今でこそ、当たり前のように名盤カタログには「コンセプトアルバム」なんて言葉が躍っているわけですが、それを達成することの難しさをこの時局に改めて感じているためでした。

というのは、ツイッターをちょいちょい見ていると、日本のある有名なバンドのメンバーのつぶやきが紹介されていて、その内容は「最近、周りから原発をなぜ歌詞に入れない?と言われることが多い。原発について歌わなきゃロックじゃないのか」みたいな感じでした。

ずっと前にも前のブログで書いたことかもしれませんが、ロックは社会的領域の中で、いくつかの立ち位置に属する人たち同士の闘争である、という見方があるそうで、しかし個人的には、広い意味では捉えることができても、この理論だけでは埋もれてる素晴らしいモノが見つけづらい、とも思っています。 しかし、上記のような状態はまさにある領域とある領域の闘争であると言えます。

上記のバンドの人がそんなことを言われはじめたきっかけは、ネットでもちょっと話題になっていた、あるミュージシャンが動画サイトで流した原発に関する歌がまたたく間に広まったことに始まるようです。なんでさっきからミュージシャンの名前を隠すかというと、検索されるのがアレなので(爆) その歌の評判というのは、非難するものも多数ありましたが、賞賛するものの中には「これがロックだ!」とか「勇気がある」という類のものが多かったわけで、まさにこうした感想はロックをある領域の中のものとして捉えているのだと思います。俗な言葉で言い換えれば「反体制」「運動的」なエリア。

そしてこうしたエリアの人々の中には、震災直後に作られた「応援する歌」といったものを「偽善的」「心に響かない」と切り捨て、それがエスカレートすると、先に述べたバンドの人が言われた「なぜ原発について歌わない」と言い、別の領域を非難する「闘争」が生まれる…。これは、僕が体感した結果、こんな感じでした、という具合なので、当てはまるかどうかはまた人次第かもしれませんが、僕の感想としてはこんな感じです。

音楽の枠をとっぱらったはずのロックが、精神論的な意味合いの中で一定の枠組みができてしまうというのは皮肉なもので、「これぞロックだ」と言えば言うほどどんどん矮小化されるような気がしてしまいます。
非難している意見の中には「原発ダメだと歌ってるけど代替案がない」というのも多かったのですが、3分ソングで資源の起承転結を歌うなんてのはちょっと頭でっかちなわけで、まぁ影響力を考えたらきやすく歌うな、ということかもしれませんが…。

最初に戻って「Soap Opera」。会社勤めの退屈な生活を続ける現代人を皮肉ったコンセプトアルバムですが、それをどう打開したいいかという具体策は示されません。ただ、最後に「僕らの音楽は止まらない」という歌で終わります(アルバムの内容についてはキンクス・サイト KINKS-SIZE KINKDOM をご参照ください)。この曖昧なメッセージは不親切なわけでなく、人々の内面についてよく考えた作者、レイ・デイヴィスによるメッセージで、これをヒントと捉える人もいるかもしれないし、自分への励まし、失っていた思いを起こさせる、などといったものかもしれません。多くの人へ発信するものだからこそ、色々な意味に取れる言葉でいい。そこには「応援する歌」でもあり「反体制」な意味合いも取れます。それに比べると、今回騒がれた歌の周辺に起こった事態は、視野の狭い世界で巻き起こっている言い合いな感じに見えてしまい、改めて「Soap Opera」の良さを感じたというわけです。

今回、歌った人が今までのキャリアでどれだけ原発に関するメッセージを放っていたかは知りませんが、一貫した思考を表現し続けるというのは本当に難しいことで、それを40年以上、現在まで表現の形をバンドに限らず変えながら、しかしブレることなく作品にし続けているレイ・ディヴィスという人はやはり素晴らしい。「皮肉屋」という一言では片付けられない奥深さとがむしゃらな姿勢、長きに渡り興味が尽きることはありません。

しかし、明確な感じで「反体制」演ってないと「ロックじゃない」と言われるうちは、「会社なんてつまらん、私はスターです」なんてナヨナヨ歌っているのはやはりロックに非ず、とお叱りを受けるのでしょうか。







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下手が売りになるロック

昔の料理漫画「包丁人味平」の中のあるシーン。
「塩だけでお吸い物を作れ」という対決の中で、普段洋食しか作っていなかった味平は悪戦苦闘。耳かき10分の1杯ほど少ない加減で塩を入れてしまう。
勝負あったかと思われたが、審査員の票が分かれ、一票の差で味平が勝利した。審査員の一人が、なぜ票が分かれたのか、ということについて次のように説明した。「味平くんの塩加減はたしかに足らなかったが、その足らなかった分を、彼は自分の額から垂れた汗で補っていたのだ。そこに彼の独創的な味が生まれたため、票が分かれた。料理はただの算数ではない」と。

僕はプロ、素人問わず人の演奏を見る機会がちょこちょこあるのですが、意外と印象に残るのは素人の、しかも下手な演奏だったり何かトラブったりというのだったりします。単に面白かったから、というのもあれば、そこから絶妙な「間」を発見して妙に感心したりすることもある、といった具合です。 一番最近のでは二年前くらい観た学生のバンドで、多分カンタベリー・ジャズ風の演奏みたいのをしたかったみたいなんですが、色んな意味で技術が全員未熟だったため、演奏を入れるときにイチイチ「せーの」と言っていたり、鍵盤が音はやかましいのにワンコードを押えてるだけだったりするという、まぁその日の見てる人を喜ばせるという意味では散々たる有様だったんですが、普段のテクニカルな演奏からはできない「超体験」を僕はした気になったのでした。


実は、ロックの名盤にもそうした「下手さ」が売りの作品があるとかないとかだそうです。




ドイツのバンドCanが1969年に発表したファースト・アルバム。カンは当時のメンバーの大半が30代という異色のバンドで、実は音楽教養ではほとんどが超エリート。しかし、クラシック畑が多く、ロックはやったことがなかったとのこと。結成目的は「ロック未経験者でロックバンドをやったら何ができるか試したかった」みたいな感じみたいです。ボーカルにまったく歌の経験がないマルコム・ムーニーなる黒人を据え、独創的なビート感覚と即興音と絶叫とつぶやきが混ざったような力作。





オカルトなジャケットも有名なアメリカのキャプテン・ビーフハート&ザ・ヒズ・マジックバンドの1969年二枚組アルバム。こちらはビーフハート氏が演奏経験のない健康な男性を数名集め、数か月に及ぶ集中合宿(そしてなぜか禁欲)の末作りだしたというアルバム。リーダーの「あなたを自分色に染めたい」という青春の欲望を歪んだ形で達成させた音盤です。普段の楽器の使い方からかけ離れた使用の仕方をしているようで、そういう意味では素人を訓練させる方が都合がよかったのかもしれません。





歌ってるジョニー・ロットンはどうだったかよく分かりませんが、演奏はたしかにあまり上手じゃないイギリスの有名なロック・バンド、セックス・ピストルズの1977年のアルバム。中にはこのドライヴ感は凄い、と言う先生もいるみたいですが、それは深読みしていいのかどうか。下手なのは例の有名なマネージャーさんの戦略ということで、下手なバンドでも時流を逃さなければ売れることを証明してしまった音盤です。


と、駆け足で三枚挙げましたが、この三枚のどれもが他の多くのアルバムと違う体験をできるのはたしかですが、自分が聴いたあのジャズ・バンドの体験とはまだまだかけ離れてる、評価とは別に、その距離感だけで言ってしまえば、まだまだこの三枚はロックという概念の主流のちょっと外側にいるにすぎないくらいの気もします。
というのは、これら三枚のどれもが、それぞれに書き込んでいるような周到なコンセプトの故の産物で、だからこそ「ロックの名盤」としての説得力を持ってる、逆に言えば時を経て、そこからはみ出した存在ではなくなりつつある、と言えるのかもしれません。


時を経て、相対的に普通じゃないものも普通になってしまい、もっとロックの範囲を広げる音盤を探す人々によって、更なるオカルティックな下手な一枚が再評価(?)の末ちょっとした人気を獲得しました。





かのフランク・ザッパに「最も重要なロック・アルバム」とも言われたシャッグスの最初のLP「Philosophy of The World」(1969)です。音楽なんてほぼできない三人姉妹が、子煩悩な父親の熱望によりなぜかレコーディングされ、200枚だけプレスされたアルバム。つまり一般人によるレコーディングなんですが、バンド演奏を初めてやってる学生状態で、ドラムは何時の間にか4小節遅れて元に戻り、歌ははずれギターは押えるのに手間取ってるとか、といった具合。これこそ、僕があのジャズ・バンドで体験したものにかなり近いものでした(それでもあのジャズバンドの方がずっと凄いと信じているらしい)。 カルトミュージックファンの熱の入った人たちにより本人たちを数十年後に探し当てたりする始末で、今でもこうして日本盤でCDを聴けるという恐ろしいことが起こっているのですが、もはやこうして大勢が聴ける環境の中では、シャッグスのような音楽ですら珍しいものではなくなってしまうようで、更なる未知の経験(人によってはサイケと言うのかもしれないですが)を求めて新たな音楽探しが世界のどこかで今も行われているのでした。



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ロックがタイトル防衛をし続ける日々

どうも非常にお久しぶりです。こちらで今後やっていこうとしていたものの、やることが多くて結局どちらも手つかずですが…時間が結構できたので何か書いてみます。

前にジャニーズ所属グループのカトゥーンの誰だかが脱退するということになり、その理由が「方向性の違い」と発表されました。現代はこういうニュースの反応をネットを通して見ることができるということなんですが、このニュースには特に反響が強かったので見てみると、多かった意見が「アイドルに方向性も何もないだろ!個性なんて、オリジナリティなんてないくせに!ロックバンドでもないくせに!売れるように言われたことをやってるだけだろ!」というのが大半でした。

こうした反応を見たときに、自分はすぐにはピンときませんでした、というのは皮肉でもなんでもなく、そういった概念そのものが自分の頭から消失してうまく自分自身が反応できなかった、という感じでしょうか。
というのも、それはいつしか自分がレコード・ファンになったためで(ここでは敢えてロック・ファンではなく)、こうした世界でもコンポーザーやプロデューサーなどのクレジットというのは非常に重要なのですが、逆にミュージシャンでない彼らもレコードの世界では音を司るキーマンばかりで、そのレコードのアーティストが、自分で曲を作らないアイドルであろうがポップス歌手であろうが、音楽が魅力的であることが第一、という認識があるためなのでした。


自分たちで作曲して歌い演奏する、というのがロックの精神である、という向きは今も昔もないではないでして、今回のアイドルの脱退はそうしたロックの精神との対立軸上にあるために巻き起こる言説で、しかもこれが一般論なようです、同様のコメントの結構な数からすると。ロック音楽は自作自演するべきものであり、ひいては売れるために演らないのだから、オリジナリティ溢れるものなのだから、アイドルの曲なんかと一緒にしちゃ(アカン)、と、オリックスの岡田監督も憤怒の表情を見せている、のかどうかは分かりませんが、少なくとも岡田監督は現役時代に他人の作曲で歌手デビューしているのでせいぜい苦い表情で見守るくらいなのかもしれませんが…!


というわけで、今回は、ロックは自分で曲を作らなきゃいかんのか?という話です。


(岡田監督の続きから)とはいえ、ロック・ミュージシャンがそこまで完全に独り立ちできているのかといえば、ほとんどがそんなことはなく、かのビートルズだって、リンゴ・スターが何か作曲をして披露するたびに、他のメンバーから「それってナントカって曲にそっくりだな!」と言われていたそうで、ついでにソロになってからのジョージ・ハリスン渾身のナンバー「マイ・スィート・ロード」ですら、盗作であるという訴えで敗訴してしまいました。オー・ロード…
アメリカのニルヴァーナと同時期に成功を収めたバンド、マッド・ハニーのメンバーが言うには、コレクションしているパンク・レコードから、誰も知らなさそうで凄くいい部分を使っていた、とのことだそうで、案外こうした手法はロック・バンドが自作する上では結構メジャーなんじゃないかと思っています。それはDJがレコードの音から「テクスチャー」を探す動作と同じで、これはある素晴らしい楽曲の、特にどこが優れているか、というのを探すこと。それはドラムかもしれないしギターかもしれない、ということなんですが、こうしてそのネットで見かけた、一般で言われるロックの優位的精神という神話は崩れ去ってゆくのでした。

ロックが自作自演じゃなきゃいけなくなったのは、実はビートルズのせいなんじゃないか、という意見をどこかで見かけたことがあって、ビートルズが職業作家に頼らず自分たちで作曲し演奏し始めたことで、自分も作曲できる、と勘違いした人たちがあまりに増えてしまった。なんて非常に辛辣なご意見だったのですが、このことをロックが自作曲でなきゃいけない、という観点から見ると、こうした精神性の始まりがまるでビートルズからのように思えてくるのでした。 とはいえ、ビートルズが作曲してきたものの数々も、彼らが過去に愛聴していたレコードから影響を受けて作られたものなのも事実です。これはもちろん他のバンドも同じことですが…。いきなりぽっと生まれるほど作曲の世界はたやすくないようで、今まであったようでなかったのがかの「イエスタデイ」てところでしょうか。ポール自身が、何かの曲に似てる気がするのでほっぽってた、という曲です。これぞ最新のスタンダード、といえるナンバーかもしれません。


それでは、完オリジナルなんて個性なんてロックには存在しないのか、と言われればそうではない、ともいえるのでして、フランク・ザッパは自伝の中で「あなたも作曲できます。その方法を伝授します」と話していて「始めと終わりを自分で決め、その間の空気を揺らせば、あなたはちゃんと作曲したことになります」と言うではありませんか。つまり、これは物凄い極端な例を使って、音楽の懐の深さをフランク氏が説明なさった、ということなのですが、空気流の微細な乱れの差で違っているというのなら、どのバンドのどの演奏も違うものである、という言い方もできるということみたいです。これはロック・ファンというよりレコード・ファン的な発想と言えるのかもしれません(そういうことで先ほどは使い分けていました)。

と、そんな上げ足を取るようなことを書いていては、ロックは人のためにならん。いたち野郎はそんなことだからいつまで経ってもうだつが上がらないのだ、と言われるのではないかとおびえているところですが、おびえているのは自分だけでなく、世のロック・ファン、そしてロック・ミュージシャン自身の何割かも実は「自分がロック・ファン/ロック・ミュージシャンである」ということの証左に奔走し、説明、自己理解をすることに苦闘し、おびえる日々を迎えているのかもしれません。最初の例で出した非ロック・スタイルへの幾多もの攻撃はいわば自己防衛であって、果たしてそこから先、ロックのアイデンティティを守る手段があるかどうかは人それぞれ、となるところ…ミュージシャンの自己防衛としては、ジミ・ヘンドリクスの燃えるギター、変な恰好というのは内気な彼からすれば「他と違わなければならない」という自己防衛であったようで、こうした例は枚挙に暇がないところですが…。
ただいま書籍や資料の多くが倉庫にあるのでとりとめがなくなってしまいましたが、ロックはオリジナリティがある/個性的であるという精神性は、自己防衛の連続体という側面があるのではないか、という拙話でした。

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クラフトワークのリマスタシリーズ、ジャケ刷新の謎










輸入盤の方は発売しましたクラフトワークのリマスター盤…これが以前からジャケットを新装して発売します、という触れ込みだったのですが、CDショップで見て驚きです。上の三つはほんの一例ですが、なんてこったというか、とにかくオリジナル・ジャケットに親しみを覚えている人にはかなりえげつないことになったようです。
一番上は名盤誉れ高いTrance Europe Espressで、我々がよく目にしてきたのはメンバー写真の上から柔らかい色調加工を施したジャケットなのですが(本国ドイツのジャケはその裏面にあたりモノクロのメンバー写真だったと思うんですが)、御覧の通りそれとは遥かに程遠い寂しいデザイン。Radio-Activityはラジオの形を施したジャケでしたがこれもアルバム・テーマを端的に表したものに、The Mixは当時のデジタルデザイン技術を駆使したジャケットだったのが、逆に記号化されたものへ…。ちなみに今回も初期傑作の三枚はCD化されずじまいです。 そんなわけでファンの大半にとっては音への期待以外はありがたくない新装と言っても過言ではないのかもしれませんが、果たしてジャケットを変更した狙いとは…


以前にエントリしたクラフトワークの本ですが、ここに書いてあるクラフトワーク像…つまり主要なメンバーであるヒュッター&シュナイダーによる両者の哲学と言っていいのですが… たとえば上に挙げた画像の一番下にあるThe Mix、これはそれまで発表してきた曲のリミックス集なのですが、本人たちはリミックスとはいえ、あくまでオリジナルと切り離した別物と捉えていたようです。そういう主張は別にクラフトワークに限ったことではないでしょうが、彼らの場合はそう主張するこだわりを「音そのもの」に向けているようです。つまり、作品そのものというよりも、レコードやCDを再生したときに耳に伝わる音そのもの…このThe Mixが登場したのはCDが普及した頃で、ソフトがレコード全盛の頃に作ってきた「音」を、新しいデジタルソフトに変換する作業というものが、彼らにとっては不安であり熟慮しなければならないことであったのではないでしょうか。常に時代の先端として新しい音を提供してきた彼らの過去の作品が移行作業も適当にそのままCD化され今となっては古臭い音と評されては、クラフトワークがこれまで築いてきた信頼やブランドに傷がつく…そうした誤解を招かないために、そしてCD化の時代でもクラフトワークが前線でやっていけることを証明するために、大義のためのリミックス作業が行われたのではないでしょうか。つまり彼らにとって過去に作りあげた音はその時点で過去の音であり、作品は残り続けてもその本質というのは一瞬一瞬のうちに変化、または消失していくものなのかもしれません。

たかがリマスター、されどリマスター、作品が作品のままであることに変わりはありませんが、今年のビートルズのリマスターシリーズで、改めてリマスターでの音の変化の大きさを味わった方も多いでしょう。ビートルズ以外の話ですが、労力を惜しんだ結果、ミニコンポやMP3プレイヤー向けに低音を効かせて終わるような悪質なリマスターがあるのも事実で、リマスターが過去の作品に新たな付加価値をつけ、時間が経てば塗り替えてしまう可能性もあります。当時の音とは、まったく異なる音になっており、時代も変われば人の耳や評価の視点も変わるわけですから…

話をクラフトワークに戻しますと…。ジャケットの変更は、彼らにとってリマスタ盤は過去のレコード、またはCDとは別の作品として聴いて欲しい、という意思の表れのような気がします。まだこのリマスタがどのような音がするか聴いていないのですが、2009年にしてようやく発表されたクラフトワークのリマスタ盤。この間にリマスタ盤を出すタイミングをうかがっていただろうし、その期間すべてをリマスタ作業に費やしていたのかもしれません。果たしてオリジナルに忠実にしようとしたのか、それとも来る新時代に送るべき絶大な変更をしたのか。どちらにしても、二人にとってはこのリマスタ盤は過去のオリジナル・アルバムで作った「音」への決別であり、新作として発表したという気概もあるのではないでしょうか。

そのリマスタ盤の中で興味深いのはAutobohnのジャケットです。






よく知られているのは運転席からのアウトバーンの景色をやや写実的に描いたジャケットですが、今回のこのジャケットは当時から使われていたアートワークで、英国盤は初めこれを使用していたはず…手持ちにドイツ盤がないのでオリジナルがどちらかよく分からないんですが。ただ、真ん中の絵のバランスがちょっと違います。今回のシンプルなジャケが多い中に混ざってもまるで違和感がないですね。これに何か意味があるのかどうか…。



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1984年生まれ。現在の住まいは千葉県浦安市。

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