書籍「ピンク・フロイドの狂気」
マーク・ブレイク
訳者:中谷ななみ
2009年
P-Vine Books
423ページ
2500円
読みやすさ
(文章) ★★★★☆
(構成) ★★★★☆
読みごたえ ★★★★★
初心者にも安心 ★★☆☆☆
マニアック ★★★★☆
オリジナリティ ★★★★☆
オススメ度 ★★★★☆
ピンク・フロイドのバイオグラフィー決定版として、当時そこそこ話題になった気がします。2冊に分けて刊行されたピンク・フロイド「狂気」と「神秘」。発売順から行くと「神秘」が先と勘違いしそうですが、「狂気」の方が上巻です。原題は「Pigs Might Fly」ですか…。
上巻の表紙を飾ったのは、サイケデリックな衣装に身を包んだシド・バレットひとりだけ。それもそのはず、400を超えるページのうち半分以上は、シドについて書かれているんです。なぜ邦題タイトルに「狂気」を持ってきたのか、答えの半分はシドについて扱っているからなんですね。
これは冷静に考えると驚くべきことです。フロイドのキャリアが仮に初レコーディングの1967年から再結成した2005年まであるとすると、約38年。そのうちシドの在籍期間はわずか1~2年…そんな彼がこのモンスター級といわれるまでになったバンドのバイオグラフィー全体の1/4以上を占めている。レコードの売上枚数だって、シドが在籍していた頃の数枚のシングルや2枚のLPが際立って売れたわけでもない。それでもこれだけページを割いたのは、根強いシドファンが多いのはもちろんのこと、バンドにとってもあまりに大きい存在だったからでしょう…と、月並みなことを申しましたが、本書のトリとなるアルバム「狂気」やその次の作品「あなたがここにいてほしい」、そしてライブ8での「シドに捧ぐ」という言葉ともに始まる演奏…当事者たちにも大きな影を落としていることは間違いありません。
さて、そんなシドについてやたら細かく書いているので、中盤までは濃密すぎて体力削られます。大抵は、シドの旧友へのインタビューが多いんですが、どのクスリ使ってた? とか、あの時はキマってたの? とか、まぁそんなところです。
そしてシド作のシングル曲のヒット、ファースト・アルバムの録音と話が進み、このあたりからシドの精神的な問題でバンド存続が難しくなるというわけなんですが、当時はシド抜きでバンドを続けていくのはかなり難しいと考えられていたようですね。クラブでも絶大な人気を誇るフロントマンを外すわけにはいかない。ということで「ビーチ・ボーイズ形式」なるアイデアが内部で出たそうです。つまり、ブライアン・ウィルソンのように、ライブには出ないけど曲を書くというもの。しかし、これは曲を書きたがっていたロジャー・ウォーターズが反対したとかで、結局採用されなかったようです。さらには、バンドの音楽理論を担っていたリチャード・ライトとシドがバンドから離脱し、別のグループを組むべきだという提言まであったらしい。
初期においてライトが高い評価を得ているのにはちょっと意外でした。というのは、ぼくはフロイドというバンドはウォーターズとデヴィッド・ギルモアが中心となっていたと思っていたためで、本書を読む限りでは、少なくとも「狂気」までは音楽理論/技術を司るライトとギルモア、そしてアイデアを提供するのがウォーターズとニック・メイスン、というバランスで成り立っていたようです。後者は建築の勉強をしていたコンビでもあります。
恐らく下巻では相当書かれているであろうウォーターズについては、上巻で好人物としては描かれていません。実はぼくが初めて行った外タレコンサートはこのロジャー・ウォーターズのソロ公演なんですが、好きかどうかと言われるとあまり好きではありません。ライヴ映像「ライヴ・アット・ポンペイ」で流れるウォーターズへのインタビューは本人が得意気な割にはつまらない返答ばかりだし(友達にしたくないな!)、「狂気」以降のウォーターズが与えたコンセプトも頭でっかちな感じがして…といったウォーターズのアティチュードというのは非常に政治的なもののようでで、その萠芽が本書にも描かれています。
そうしたウォーターズの試みが、こんにちフロイドを「プログレ」のグループとして位置づけていると思うのですが、どうやら「狂気」より前はそうではなかったみたいです。「おせっかい」の評判について
知性派バンドとしてのライバルだったイエスやキング・クリムゾンとは比較されることなく、ザ・バンドやクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングといった、より柔らかな音のバンドと比較された。
と書かれていて、やはりこの頃まではフォーク系という扱いだったのだなぁと…。
著者は雑誌「モジョ」で執筆している、くらいの紹介しかありませんが、随分の取材と資料整理をこなしたもんですね。緻密さと情熱に恐れ入りました。下巻を読むかどうかは…だって裁判や不仲の話ばっかかもしれんし…面白そうですけど(爆)
著者:ジェリー・ホプキンス
訳者:きむらみか
音楽之友社
1987年
464ページ
読みやすさ
(文章) ★★★★☆
(構成) ★★★★☆
読みごたえ ★★★☆☆
初心者にも安心 ★★★★☆
マニアック ★★☆☆☆
オリジナリティ ★★☆☆☆
オススメ度 ★★★☆☆
デヴィッド・ボウイのディスコグラフィは大体分かるのですが、バイオグラフィについてはまとまったものを見たことがない、ということで古い本ですが図書館にあったので借りてみました。しかしすごい分量…読み終えるのは大変でした。
ありがたいことに、自分の知りたかったヒットするまでの期間について多めにページを割いています。全464ページのうち、「Space Oddity」でチャートインするまでが100ページ強くらいでしょうか。アルバムで言えば「レッツダンス」を出すあたりまでです。よく知らなかったRCAにたどり着くまでのレーベルの渡り歩き、そしてそこに至るまでの人脈などについて、一つの流れとして描かれます。マネージャーやバックをつとめるミュージシャンとか。そして「ジギー」以後についても、どういったことに身を砕き、音楽界隈以外でどのような人物と交流していたか、などなど。ボウイの行動をテンポよく追えるようになってると思います。
ご存知のように、ボウイという人はアルバムを出す都度まるで別のミュージシャンかのような変身を遂げています。モッズからフォークへ、グラムからファンク、そしてベルリンから洗練されたダンス音楽へ…。作風がこれほど紆余曲折を経ている大物もなかなかいないでしょう。ヒーローズを発売した際の自身の発言で
「僕は、みんなにとって実に予測可能な人間なんだと感じた。そのことが僕をウンザリさせたんだ。僕は自分の嫌いな、大衆人気ど真ン中コースに乗っかろうとしていた…僕は、創造的で芸術的な成功を欲し、かつ必要としていた…最高にバカバカしいことを言える体勢になってきたよ。『もしもみんなが僕のレコードを買うのを止めてくれたら心底嬉しい。そうなったら僕は退いて、何か他のことにかかれます』ってさ」
という具合いなので、この本にもありますが、RCAのお歴々は大変だったことでしょう…。
ボウイが音楽を始める頃の年齢にさかのぼると、彼の演奏は他を凌駕する表現力に満ちあふれていたようだし、タイプとしてはアメリカでいえばヴァン・ダイク・パークスやランディ・ニューマンのような知的なものだったそうですが、そうした音楽性を身につけた経緯はここでは分からないですね。スウィンギング・ロンドンに興味を持って、楽器練習してステージ立ってみたら評判良かった、くらいな流れになっていて、彼の表現力の源泉みたいなものはどうだったのか。よく言われる兄の精神状態(本書が印刷された頃に兄の訃報が入ったそうです)、父親の死といったことにも触れてはいますが、彼の表現活動への結び付きという視点はここでは皆無です。特にそういう結び付きがないと判断したのかどうなのか…。
では淡々と書かれているものかというとそうでもなくて、セリフの言葉遣いが「~だってんだヨ!」みたいな懐かし少年少女マンガみたいな表現でちょいと息巻いていたりしています。昭和62年てこんな時代でしたか…。出てくる関係者やミュージシャンがみんなこの口調なんで、真剣に読む人でなければこれはこれで楽しめます(^q^)
そんな茶目っ気があるわりには、客観的な立場から見た構成になっていて、アルバム評、ツアー評各国各紙のものを賛否両方について付記しています。ただ、ボウイ自身が自分の発言や写真などについてしっかり管理してきたらしく(インタビューを許す人物や時間はボウイ自身が厳選していたみたい)、本人のインタビューはナシ。たまにあっても昔の雑誌等から拾ったもののようですので、その辺は期待しないように…。そのため史実の信頼度においては読み方次第というところですが、中立な視点を持とうという書き手の意図は伝わってくると思います。
ボウイはたくさんバイオグラフィが出ているので、最近のも読んでどのあたりが違うか、っていうので比べるのもおもしろいかもです。
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アトランティック・レコード物語
著者:ドロシー・ウェイド
ジャスティン・ピカーディー
訳者:林田ひめじ
早川書房
354ページ
2300円
読みやすさ
(文章) ★★★★★
(構成) ★★★★☆
読みごたえ ★★★★★
初心者にも安心 ★★☆☆☆
マニアック ★★★★★
オリジナリティ ★★★★★
オススメ度 ★★★★★
アトランティック・レコードの創始者・アーメット・アーティガンを軸に米国レコード業界の変遷を描写していますが、表面的な動きではなく、万人の目には触れない裏側を詳細に描いています。それは表沙汰にできないレーベル間の取引であったり、マフィアの介入であったり、冷淡なビジネスであったり、ミュージシャンとの不和であったり…中立的な立場から客観的に検証できたのは、アメリカ人ではない著者だからこそできたのかもしれません。信頼できる幾多もの証言は立場によって食い違いも見せますが、それもまた人間の性ということでむしろリアリティにあふれています。
このアーメット・アーティガンという人物は、なんとトルコ人だそうで…。しかも上流階級に属するような立場にいたそうですが、ブラック・ミュージック好きが高じて社会的地位も捨ててこの業界に飛び込んだそうです。
この本で何度も書かれていることですが、アーティガンが他のレーベルの人間と違うのは、心から音楽を愛し、ミュージシャンに最大限の敬意を払い、そして根っから明るい性格の持ち主だということ。この業界の他のやり手といいえばたしかにビジネスの才覚はあっても、なかば騙すようにミュージシャンとの契約を取り交わしたり、音楽にまったく興味がなかったり、困っている同業者を潰しにかかるなど、やはりサツバツとしたものみたいです。その中でアーティガンは人間的な信頼を勝ち得た人物として、70年代にはローリング・ストーンズのようなビッグネームを獲得できるまでになっていくのですね。
ただ、そこまでに至るのも紆余曲折があり、ここが立場違えば見方も違う、ってことで面白いのですが、黒人音楽で成長してきたアトランティックは60年後半にもなるとバッファロー・スプリングフィールドなどを皮切りに白人のロック・ミュージシャンとも契約するようになります。しかし、これは一部の黒人ミュージシャン側から見れば一種の「裏切り」にも感じ取れたようです。さらに、傘下にあったスタックスとの関係にも一因が。スタックス特有のメンフィス・サウンドを獲得するべく、アトランティックのミュージシャンをスタックスのスタジオに連れて行くなどしたことで関係は悪化の一途をたどることに。折しもブラック・パワー真っ盛りの時代であり、一部の過激な黒人グループは政治的な活動の末、レコード業界に数々の要求をけしかけていたようです。
その結果、意外なことが次々と起こります。レーベルの意思として分けられていなかった白人部門と黒人部門が区別され、さらにはラジオ界もチャンネルごとに白人向けと黒人向けのものとが分けられてしまったそうです。
一見矛盾する要求にも思われますが、これは黒人が職に就きやすくなるためのもので、たしかにレコード業界は白人が中心となって動いていたし、公民権運動でもこれを支持する動きがあったそうです。ただ、これについてアーティガンは「そんな考えは浅はかだと思うんだ。なぜなら、われわれの究極の目的は、黒人を”白人の”仕事に就かせ、白人を”黒人”のしごとに就かせること、つまりあらゆる種類の差別をなくすことだったんだからね」と一蹴。結果的には人種間の溝がさらに深まることになりますが、アーティンガンが白人のロックをレーベルに持ち込んだのは、そこに新たな音楽性を予見したからで、現にアトランティックはロック音楽にシフトして以降大きな成功を収めています。
喧騒を極めるレコード業界において、アーティガンがなぜ同業者やミュージシャンから信頼を得ていたのか。古くは業界でタブーとされていたミュージシャンへの印税を約束し、恵まれず亡くなった尊敬すべきアーティストには葬式の世話をするなど、面倒見がよかったことにあるようです。また、音楽のジャンルを超えて優れたレコードを生み出す眼も確かなものだったそうです。商業的な音楽を後付けで作るのではなく、嗅覚で探し出していた頃のお話…これはフィル・スペクターにも通じるセンスです。
また、伝説のラジオDJであるアラン・フリードについて、業界を振り回し、そして振り回されてきた数奇な命運が詳述されています。彼について興味のある方もこの本は参考になるかと思います。この頃の、レコード業界が試行錯誤のすえ成長していく過程が、一番面白いかもしれないですね。80年代以降は見さかいがなくなって、プロモーションが先行しすぎたりして現実を目の当たりにするのは辛いものがあります。大手レーベルによる苛烈を極めたマネーゲーム、ラジオでのオンエアをかけた賄賂合戦(ペイオラ)、それにまつわる訴訟とスキャンダル、そしてレーベルの吸収合併劇…そうした良くも悪くもダイナミックなところも描かれていて、ボリュームたっぷり中身も濃ゆい読み応えのある内容になっています。強くオススメ。
この本は絶版ですが、今月には似たような本が出るみたいですね。表紙が同じなので再版かと思ったのですが、著者が違うからきっと別の本なのでしょう。こちらもどういったものか気になるところです。
ビート・クラブのDVDセット、1年くらいかけてちょうど半分見ました。
今は1969年の半ばくらいのシーズンなんですが、この頃は番組、というか音楽シーンそのものが変わりつつある転換期のようで、出演バンドのタイプや番組の演出に変化が出ています。もちろん序盤にもビート・グループ→サイケ・ポップへの路線変更はありましたが、それも数年すると新たな移行となります。
ビート・クラブの白黒時代はほとんどがフリだけの映像、口パクです。ごく初期は生演奏もあった気がしますが、英国ロック全盛期の68年はほとんどがフリな上にサイケぽい映像の加工があったりして…まぁこれはこれでいいんですけど、肝心の本人がほとんど見えないイメージ映像にされてたり、なんてのもあって(^q^)
ところが69年に入るDisk2で大きな変化が。まずビックリしたのが、突如登場するColosseum。60年代中頃から順番に見ていると、このグループが映像に出た時の違和感はなかなかのものです。スピード感に溢れ、ドラムとベースは暴れ、硬質なギターサウンドにサックスも絡む…それまでの横乗りウキウキなビート・バンドとはまったく違ったものです。これ以前にも番組の最新情報コーナーみたいのではフロイドとか出てた気もしますが、演奏者としては彼らがプログレ勢初登場ではないでしょうか。この日の収録ではProcol Harumも出ますが、どちらもフリでした。プログレではないですが、Steppenwolfも立て続けに登場しているのがこの頃で、これもニュー・シネマ到来な時節を感じさせます。
んでさらなるステップとなったのが全体の中盤となるDisk4で、ここで登場したSteam Hammerが生演奏を披露しています。ギャラリーのいない暗いスタジオで、ヘヴィなブルース・インプロを2曲続けて演奏。TV番組におけるブリティッシュ・ハードロックの萠芽ってことですかね。この後出たhumble Pieの演奏はフリでしたが、歌&コーラスは生だったようにも見えました。ちゃんと音源聞き直せばいいんですけど、ちょっと見当たらないもので…。
このDisk4のトリを飾った収録は、The WhoによるTommyを編集したメドレー演奏…つってもこちらは全部フリです。他の映像にコマ切れで使われることが多いのか、見たことあるのが大半でした。番組のほとんどを一バンドに費やすのは稀で、これもグループ/アルバムの人気の高さが関係あるのはもちろんですが、コンセプト・アルバムてことで時間を要してでも一連の流れをつくることにこだわったのかもしれません。バンド側の要請があったかもしれませんが。
そしてこの収録回で3曲生演奏を披露していたのがFat Matress。誰だっけなーと思ってギター弾いてる兄ちゃん見たら、このメガネに髪型はどうやらノエル・レディング。彼の在籍していたグループなんですね。そういえばアルバム・ジャケットは見たことある(でかいカーチャンの絵が描かれてるヤツ)…。悪くはないですが、エクスペリエンスにいた身からしたら物足りなさを感じたかも。すぐ辞めてますし。
Disk5も少し見ましたが、この辺りからバンド形態は生演奏率高く、The Niceではもはや恒例だった踊るオーディエンスはおらず、まさしく「展覧会の絵」を見に来ているようなギャラリーが演奏を見つめる、というような演出でした。Yesはクリス・スクワイアの半裸&驚愕速弾きを堪能…。どのバンドもちゃんとアンプが置かれて、だんだん無骨な感じになってきてます。そしてなぜかクリストファー・リーのインタビュー映像。そういえば、あのひょうきんなおっさんがいなくなりDave Dee?が司会に…。
表現の主体がシングルからアルバムへ。演奏も3分から10分以上へと、ちょうどロックが大きな転換に差し掛かるポイント。これまで以上に複雑な曲やインプロヴィゼーションを演るグループも増え、ビート・クラブにもありありとその様が出ていました。まだ到達していない&未開封のボックス3本目は70~72年てことで、今回の延長線上にある形態がお披露目となりそうな予感です。
The Nice-Hang on a Dream
Yes-No Oppotunity , No Experience Needed
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